田原総一朗「戦後レジームの正体」

【第2回】 東京裁判で問われたもの---日中戦争、真珠湾攻撃は正当だったか

2015年02月27日(金) 田原 総一朗
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〔PHOTO〕gettyimages

【第1回】はこちらをご覧ください。

東条英機の自殺と「朝日」社説

「東京湾頭ミズーリ艦上の降伏文書調印式後十日目の九月十二日付新聞は、真珠湾攻撃当時の首相東条英機の自殺未遂を報じた」(『東京裁判〈上〉』朝日新聞東京裁判記者団著 朝日文庫)

マッカーサー司令部が39名におよぶ戦争犯罪容疑者に逮捕を命じたのが1945年9月11日である。前出の『東京裁判』によれば、13日付の朝刊になって初めて、東京からサンフランシスコに打たれた電報が、逆に東京に転電されて逮捕記事の掲載になったのだという。マッカーサー司令部が戦犯容疑者の筆頭としたのが東条英機であった。東条英機は日米戦争開戦時の首相だった。

東条は自殺未遂について、弁護人となった塩原時三郎に次のように語っている。

「世間のヒンシュクを買った当時の行為も事前になんらかの通知があり、時間的に余裕を持てばあんな失敗は演じなかったと思う。終戦後の閑居中自分のとるべき態度につき二つの立場を考えていた。第一は自由に発言する機会を与えられたならば堂々と所信を披瀝して戦争勃発の真相を明らかにし、すべての責任をとるつもりで考えをまとめ、書き物もしていた。

反対にもし身柄を外国に連行され、サラシものになるような場合を想像して自殺の準備にも万全を期した。まずピストルを肌身はなさず持ち、医師に心臓の上に墨で丸印をつけてもらっていた。風呂のあとでは書きなおしていた。(中略)撃ちそこなった。(中略)今日では初めの意思にもどって一切のことを腹蔵なく話す覚悟である」(前掲書)

ところで、東条以下39人の軍幹部や政府の要人たちに逮捕命令が出た翌週の朝日新聞の社説(45年9月17日付)を読んで驚いた。

「東条軍閥の罪過」という見出しで「まことに恥多き戦争であつた。太平洋米軍司令部発表の比島日本兵暴行の内容は、われらの心臓を衝き刺した。眼を蔽はずにはゐられない。遺憾といふもおろか、まさに痛嘆の極みである。否、限りなき憤激さへも覚えるものである。比島でさへこの有様とすれば、数年の永きに及んだ目的なき支那事変においては想像以上の軍規の頽廃が横行したに相違ない」と書いている。

検閲があったとはいえ、朝日新聞の社説は、見事なほどGHQの意向と合致して、1ヵ月前までの日本軍礼賛から大変身している。あらためて、GHQが日本の新聞社を潰さずに持続させた理由が納得できた。それにしても気恥ずかしくなるほどの変身である。

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