読書人の雑誌『本』より
2015年03月15日(日) 山折哲雄

お地蔵さん列島---山折哲雄・著『おじぞうさんはいつでも』

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桃太郎や一寸法師のような小さな者にたいする愛情を大切にしてきたのが、この国の昔からの慣習であり、伝統だった、―そういったのが民俗学者の柳田國男さんでした。瓜子姫や金太郎などもその仲間に入りますね。なぜかというと、このような小さな者たちには不思議な力がそなわっていて、何かの折に人々を助けたり悪者をこらしめたりする、つまり、大人顔負けの大活躍をするという昔話が多く語られてきたからでした。

私は以前から、こうした日本人の考え方はお地蔵さんをめぐる物語にもたくさん見出すことができるだろうと思ってきました。釈迦誕生仏なんかもそうですね。右手を挙げ、可愛い子どもの顔をして立っている、あの小さな小さなホトケさんです。

もっともお地蔵さんは、はじめインドでつくられたときは大人の姿をしていました。髪を剃って出家僧という出で立ちでした。ところがやがて日本に伝えられると、みるみる小さく小さくつくられるようになり、お地蔵さんといえばほとんど「子ども地蔵」ということになってしまった。おそらく桃太郎や一寸法師の伝承と結びついて、そうなったのではないかと私は思っているのです。街の片隅や田舎の野原でよくお目にかかるのが、そのような子ども地蔵であり、二人並んだ親子地蔵なんですね。

この国では事故や災害が発生すると、その現場で犠牲になった人々の魂を鎮めるため、お地蔵さんが祀られるようになりました。花が供えられ、供物がおかれていたりする。阪神淡路の大震災のときもそうでした。こんどの東北を襲った地震津波のときも、被災地のいたるところにお地蔵さんが立てられるようになりました。

阪神淡路のときは、やがて被災地をつなぐ巡礼路のようなものがつくられ、いつのまにか小さなお地蔵さんがお出ましになっている。亡くなった人々の冥福を祈り、生き残った人々の心に寄りそう、かけがえのない同伴者としてお地蔵さんが祀られる。

宮城県石巻市の大川小学校では多くの学童が犠牲になりましたが、1年経ってそこを訪れたときには、荒れはてた校門の前に親子地蔵がすえられていました。また、多くの町民をのみこんだ岩手県の大槌町では、旧庁舎の前にそれが祀られていた。福島県の飯舘村に行ったときは、原発の被害のため全村民が立ち入り禁止になっている地域の庁舎の前に、それが祀られていたのです。町長さんや村長さんが音頭をとって、町や村の人々といっしょになってそういう祈りと鎮魂の場をつくっておられることに心を打たれました。

そんな私のささやかな体験談を聞いてくださったのが、絵本作家でユニークなイラストレーターとして知られる永田萠さんでした。じつは3・11の災害後、被災地の方々にたくさんのお地蔵さんをつくってお贈りしようという「『お地蔵さん』プロジェクト」が立ち上っていました。私もその後尾について、「平成地蔵讃歌」という詩をつくってお手伝いをしていたのですが、それを聞いた永田さんがその場で「それを絵本にしましょう」といって下さったのです。私は驚き、永田さんのお申し出を喜んでお受けすることにしました。

以前私は、ある新聞メディアに1年にわたってエッセイを書いたことがあるのですが、そのとき挿絵を描いて下さったのが永田萠さんで、それ以来のお付き合いでした。チベットのポタラ宮殿や美空ひばりさんにふれる文章を書いたときなど、永田さんの挿絵はまさに天馬空を行くような発想と機智にみちていて、それはそれは楽しかったことを覚えています。その永田さんが出版社もまだきまらないうちに描きはじめて下さったのですから、これはもう天にも昇るような気持でした。

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