読書人の雑誌『本』より
2015年02月25日(水) 青木理

青木理・特別寄稿「なぜ異議を唱えないのか」

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ルポルタージュでもあり、時評集の側面もある。一種のメディア論でもある。まるでキメラのような作品だが、昨年末に『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』を緊急出版して以降、多くの方々から高い評価をいただき、時をおかず重版もした。世の中がほぼ一色に染まった朝日新聞バッシングの風潮に真っ向から喧嘩を売るような内容だったから、ネットなどでは「反日」「国賊」などという罵声が私にも浴びせられたが、これはまあ予想どおりの反応だったので、むしろ褒め言葉と受け止めている。

ただ、このような作品を上梓することになるとは想定もしていなかった。朝日が昨年8月、過去の慰安婦問題報道にかんする検証記事を掲載し、すさまじい朝日批判が起きてからも、この現象にかんする書籍を世に放とうとは考えなかった。学者でも評論家でもない私が、自らの仕事場であるメディアについてうんぬん論じるなど、そもそも趣味ではないと思っていた。

心境と状況に変化が生じたのは、主にふたつの理由があった。ひとつめは、ひどく現実的な話である。

朝日バッシングの中で

私は昨年春から『サンデー毎日』(毎日新聞社)で「抵抗の拠点から」と題するコラムを連載している。そのときどきの社会事象についてつづる時評コラムだが、連載開始から半年も経たぬうちに起きた朝日バッシングに違和感を抱き、コラムでも触れる機会が増えていった。一時は毎週のように取りあげ、同誌以外でも何本も原稿を書いた。

そうこうするうち、連載の担当編集者であるM君から、コラムや関連原稿をまとめ、書籍として刊行すべきではないか、と提案された。本書のタイトルが『抵抗の拠点から』となったのはそのためである。

聞けばM君も、「売国」「国賊」などという論外の言辞が飛び交う朝日バッシングの異様さに憤っていた。また、大半の雑誌がバッシング一色に傾き、それに連なる論者や出版社が歴史歪曲的な言説を振りまき、果ては「嫌韓・嫌中」に類する書籍が量産されている現状を憂え、これに抗う本を世に放ちたいという出版人としての想いもあったらしい。

そのM君が講談社のI君に相談し、I君も即応し、計画は現実化した。ふたりの提案に、私の心も動いた。これがひとつめの理由である。ただ、連載は開始からさほど時が経っておらず、他の原稿と合わせても分量的に物足りない。加えて私自身、単にコラムをまとめるだけでは不十分だと考えた。その理由については、本書で率直にこう記した。

〈その時々に多少の異議申し立てをしたとはいっても、所詮ほとんどはコラムや論考、論文の類にすぎない。あくまでも取材者である私は、現場に足を運んで当事者の話に耳を傾け、それをルポルタージュやノンフィクションの作品として紡ぐことを本業として生きている。

なのに、それができていない。しかも、今回の事態をめぐっては、一方の当事者たちの声がほとんど外部に伝えられていない。猛烈な朝日バッシングばかりが横行する中、朝日を叩く者たちの声や主張は過剰なほど喧伝され、あふれかえり、その論調に沿った形で朝日側の人びとの「言い訳じみた声」や「みじめな姿」はいくどとなく紹介されたものの、当の朝日幹部や現役記者、有力OBたちの声や反論は、まったくといっていいほど伝えられていないのである。(中略)

これは断じて好ましくない、と私は思う。世の大勢がひとつの方向に雪崩を打って流れた時、それに疑義をつきつけたり別の視点からの考察材料を提供したりするのもメディアとジャーナリズムの役割であると考えれば、ひたすら叩かれている側の言い分もきちんと記録され、広く伝えておかなければならない。

だから私は、今回の朝日バッシングの中、徹底的かつ一方的に叩かれまくった人びとを訪ね歩き、せめてその話に耳を傾け、記録し、伝えようと考えた。誰もそうした作業をしない中、叩かれた者たちの声を伝えることは、なんだか私の責務のような気分にもなっていた〉(『抵抗の拠点から』より)

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