北京のランダム・ウォーカー

国家主席が誇る「偉大なる人民」が、銀座で"爆買い"に走った2015年の春節

2015年02月23日(月) 近藤 大介
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〔PHOTO〕gettyimages

「洋風の街」を襲う東洋発の「衝撃」

2月19日の春節(中国の旧正月)の午後、銀座の中央通りを、1丁目から8丁目まで歩いてみた。前日の小雪やみぞれは消え去り、ぽっかりと晴れ渡った澄み切った空だった。

だが銀座通りは、いつになく騒々しかった。普段は紳士淑女がおめかしして銀ブラする中央通りも並木通りも、ジャージにジャンパー姿だったり、髪の毛ボサボサだったりする声高な人々に占拠されていた。一面の観光バスと「漢語」。まるで北京の王府井か上海の南京路が、東京で再現されたかのようだった。"ギンザ・チャイナタウン"の出現と言ってもよい。おそらく銀座150年の歴史で初めての光景ではなかろうか。

周知のように現在の銀座は、明治維新後に、文明開化の象徴としてガス灯やレンガ造りの建物が整備された。いわば日本初の「洋風の街」である。

私が記憶している最初の銀座は、1971年に三越銀座店の1階にオープンしたマクドナルドだった。祖母に手を引かれて歌舞伎座で歌舞伎を観た後に、初めてこの「アメリカの館」の前を通って仰天した。店内も周辺も大混雑で、何より驚いたのは、歩きながらハンバーガーを頬張っているジーンズに長髪姿の若者たちだった。祖母はそんな彼らを、「犬でもあるまいし」と言って、侮蔑するように眺めていたものだ。

1996年に、松屋デパートの裏手にスターバックス日本1号店がオープンした時も、ひとしきり話題になった。この店もいつも混雑していたが、私は足繁く通った。それは当時、ほとんど都内唯一の店内全面禁煙の喫茶店だったからである。タバコの煙が何よりも嫌いだった私は、ただ「煙にまみれていないコーヒー」を飲むだけのために、地下鉄有楽町線に30分近くも揺られてスタバに通い詰めたものだ。

いまにして思えば、銀座の街が過去150年近くにわたって受け容れてきた大小様々な「衝撃」は、そのほとんどが欧米の新たな文化の流入だった。欧米のブランドショップから著名なフレンチレストランまで、こぞって銀座に出店した。そのたびに銀座の街並みは、たちまちそれらを景観の中に受容してしまった。そもそもの街の成り立ちからして欧米文化の流入だったのだから、たとえマックが来ようがスタバが来ようが、すべては「許容範囲内」だったのだ。

だが今回の「衝撃」は、東洋の新興国から来たものであることが、過去と異なっている。しかも、昨年末に内閣府が発表した「外交に関する世論調査」によれば、日本人の83.1%が「中国に親しみを感じない」と答えている。そのような中国から来た人々を、「日本一プライドが高い街」が許容するのかどうかが、私の関心事だった。

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