現代ノンフィクション
2015年01月23日(金)

『ふたつの震災』 阪神・淡路の20年から
【第4回】被災地に「しあわせ運ぶ」歌の物語(前編)

取材・文/西岡研介

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「しあわせ運べるように」を歌う神戸の西灘小合唱団の児童たち。指揮は作者の音楽教諭、臼井さん

2014年12月13日午後6時。ちょうど20回目を迎えた神戸ルミナリエの光があふれる東遊園地に子供たちの澄んだ歌声が響いた。

地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

『しあわせ運べるように』。この20年間、神戸をはじめ阪神・淡路大震災の被災地で歌い継がれてきた鎮魂と希望の歌だ。今年1月17日にもNHKが全国中継で取り上げたので、このメロディーを耳にされた方も多いだろう。

作詞作曲は臼井真さん(54)。神戸市立西灘小学校に勤める現役の音楽専科教諭である。

自責と孤独の中、天から降ってきた旋律

阪神・淡路大震災発生当時、34歳だった臼井さんは東灘区で被災。自宅は2階が1階を押しつぶすような形で全壊したが、家族は奇跡的に全員助かった。高齢の両親たちを北西に約10キロ離れた灘区の親戚宅に避難させ、さらにその親戚宅から南西に約5キロ、中央区にあった当時の勤務先、市立吾妻小学校(97年に中央小学校に統合され廃校)に出勤できたのは、発生から数日後のことだった。

が、この「発生直後にすぐに学校に駆けつけられなかった」という思いがトラウマとなり、後々まで彼を苦しめることになる。

臼井さんが出勤すると、職場は既に避難所になっていた。自分が家族を避難させている間も、同僚たちは避難所の運営や児童のケアに奔走していた。彼らは自宅が全壊した臼井さんを気遣ってくれたが、職場に彼の〝居場所〟はなく、自責の念と孤独感に苛まれた。発災直後に必要とされるのは、被災者の衣食住の確保であり、音楽ではなかった。疲れた表情を浮かべながらも慌ただしく働く同僚に囲まれ、「こんな時に『音楽の先生』は、いや、自分は何と役に立たないのだろう」と悩み、一時は職を辞すことまで考えた。

しかし、そんな臼井さん自身を救ったのもまた、音楽だった。

地震発生から約2週間後、職場から無力感を抱えつつ親戚宅に戻った臼井さんは、テレビに映し出された三宮の惨状を見て衝撃を受けた。自分が青春時代を過ごした街が破壊し尽くされているのを見て、「神戸の街は消えてしまった。もう、おしまいや……」と思った。

しかし瞬間、全く逆の思いが歌詞となって「体の奥底からわき上がってきた」という。

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