ゼロ金利解除直前の「政策決定会合」議事録から読み解く日銀「失敗の歴史」
10年を超えるデフレからなぜ学ばないのか

 7月30日に臨時国会が始まったが、期間はわずかに8月6日まで。みんなの党と公明党から提出された国会議員歳費日割法案もまともに処理されず、新たに当選した参院議員に7月分歳費の一部を自主返納させる暫定的な法整備にとどめる方針だ。

 菅政権で初めての予算委員会も衆参わずか2日。ヘタにボロ出せば、9月の代表選への道もなくなるので、はやくも「逃げ菅」という作戦なのだろう。国会議員には夏休み返上で働いてほしいが、どうもそういかないらしい。

 何より心配なのは経済政策だ。そこで、10年前を振り返ってみたい。日本銀行は10年経つと政策決定会合の議事0録を公開している。ちょうど7月30日、2000年1月~6月の分が公開されたのである。

 なぜ今10年前を振り返るのか。日本ではここ10年以上デフレが続いて、日銀はデフレターゲットをしているのではないかとさえみえるからである。

 米国型コア指数の消費者物価(除く食品・エネルギー)は、ここ10年間、ほぼ▲1.0%~0%の間に収まっている。統計的にみると、インフレ目標(1~3%)の国より安定的だ。水準がマイナスということを除けば、優れた物価のコントロールである。しかも、打ち出す金融政策のタイミングは絶妙であり、その結果、「デフレターゲット」になっているようにみえる。(下図)

 これらの金融政策の始まりは、2000年8月のゼロ金利解除だ。外部からみれば明らかな失政だが、日銀ではこれを失敗とみていないのだろう。その後も、デフレ脱却するための強力な金融緩和策をとらず、デフレを脱却しそうになると金融引締をしてきた。

 実は、日銀の政策決定会合というと凄い会議のようだが、中身が薄い。竹中平蔵元経済財政担当相は、「中身がなく時間のムダつかいになりそう」と言っていた。今回の資料を見ても、日銀の使命である物価については、70枚以上の図表にのうち3つしかない。滑った転んだの一般経済談義をしているのだ。

 2000年1月~6月の政策決定会合の記録を見ると、毎回3つの案が出されている。速水優議長案、中原伸之委員案、篠塚英子委員案だ。それぞれ、現状維持(ゼロ金利)、インフレ目標付き量的緩和、ゼロ金利解除であった。結果として、すべての会合で、議長案が採択されている。さらに付け加えると、00年8月にゼロ金利を解除した。しかし、翌2001年3月に量的緩和をとらざるを得なかった。

クルーグマンが予言した日銀の失敗

 ゼロ金利解除の時、私はプリンストン大学にいたが、同僚だったクルーグマン教授から「これは絶対失敗する」とのメールを受けた。そして彼の予言通り、日銀の失敗だった。この事実は、中原委員だけが正しい提案をし続け、その他は間違っていたことを意味している。

 さて00年1月~6月の各会合では、ゼロ金利解除に前のめりの発言が目立った。2000年1月17日、植田和男委員は、ゼロ金利解除について「失敗すれば全員クビという感じもあるし、逆にまずは混乱なしに解除できれば本行のクレディビリティーはかなり上昇すると思われる。」と述べた。しかし実際に失敗はしたものの、どの政策委員も責任は問われず、クビにもなっていない。

 すべての会合で間違い続けた篠塚委員は、デフレの意味がわかっていなかった。
デフレ(DEFLATION)とは物価の持続的な下落であり、不況(DEPRESSION)とは違う。2000年6月28日、篠塚委員は、ストックフォルムのリクスバンクでのコンファレンスに参加したことについて、「どのように具体的にデフレ懸念を説明するかについては、何かはっきりした指標を提示しないと海外の人には理解してもらえないと改めて感じた。現在それを示すとするならば、・・・実質GDPの成長が明らかでデフレ懸念から脱却する方向になること、・・・を明言することでないかと思っている。」と述べた。

 しかしリスクバンクも採用しているインフレ目標なら、世界の人にわかってもらえたはずだ。

 そして肝心の速水議長は、金利について、名目と実質の違いがまったくわかっていなかった。

 6月28日、速水議長は、「債権サイドと債務サイドの需給関係を調整していくのか金利であるから金利がゼロではりついているのでは、正常な市場にはならない。・・・金融政策としては半分死んでいたと言ってもいいと思う。・・・正常に戻せる時にはやく正常に戻したい。」と発言した。すかさず、中原委員が「今の日本は名目ゼロであるが実質金利は勿論プラスである・・」と応じたが、速水議長の誤解が直ることがなかった。中原委員を除き議長らの誤解、無知が誤った金融政策をもたらした。

 日銀は物価の安定を消費者物価上昇率0~2%と理解しているようだが、いまもそれをまったく無視した金融政策を行っている。こうした状況に、浜田宏一エール大学教授は、かつての教え子である白川方明日銀総裁を叱ったが、無視されたという。

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