「ねじれ国会」菅直人政権を待ち受ける「4つの先例」
枝野幹事長は代表選の争点は
「小沢対反小沢」を示唆

 7月29日午後、東京・永田町の憲政記念館で開かれた民主党の両院議員総会は、菅直人首相(党代表)以下枝野幸男幹事長ら執行部に対する糾弾集会となった。参院選大敗の責任は首相と執行部にあるとし、退陣を求める声が噴出した。

 が、菅首相は9月の党代表選出馬の意向を表明すると同時に、枝野幹事長らを代表選まで続投させる考えを示した。言わば正面突破を図ったのである。

 菅首相が8月2日から7日までの衆参院予算委員会答弁で野党からの追及に立ち往生するようなことになれば、たちまち代表選を前に「菅では秋の臨時国会がもたない」という声が党内の大勢を占めることになる。すなわち「菅退陣」論である。

 それでも現状では、代表選は菅首相と小沢一郎前幹事長、ないしは同氏が推す誰かとの一騎打ちになる可能性が高い。その際、代表選の争点は「反小沢vs親小沢」になるだけでなく、「菅で自民党など野党との政党間協議ができるのか」と「果たして3ヵ月で首相を代えていいのか」ということも問われることになる。

 両院議員総会の前夜、実は枝野幹事長と長時間、話をする機会を得た。

 同氏は、メディアが代表選の争点を「反小沢vs親小沢」として取り上げるとの見方を示したが、筆者は後者の「菅で自民党など野党との政党間協議ができるのか」も主要点になるのではないか、と反駁した。

 それはともかく、衆参がねじれた国会での2011年度予算審議の難航を始め、税制改正や特例公債法案といった予算関連法案、さらに郵政改革法案などの成立は難しい。つまり、現在の菅体制で予算成立までの展望が開けるか否かが焦点となる。そこで想起されるのが四つの先例である。

 即ち、(1)97年4月の沖縄特措法改正案成立 (2)98年10月の金融再生法案成立 (3)03年6月の有事関連法成立 (4)07年秋の大連立構想――である。

 沖縄特措法改正案の成立は、橋本龍太郎政権下の97年4月初め二度に及ぶ橋本首相(当時)と小沢新進党党首(同)とのトップ会談で合意・実現した。この法案成立に至る過程は、中曽根康弘元首相の仲介もあり、官房長官だった梶山静六氏と小沢氏側近の平野貞夫参院議員主導で進められた。

 だが、圧倒的多数で衆院特別委員会通過後の4月11日、野中弘務同委員長は衆院本会議での委員会報告の最後に、「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような結果にならないことを、< 中略 >再び国会の審議が大政翼賛会のような形ならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります」と発言した。

 言わば「多数の横暴」への警鐘だった。

喜美、枝野らが活躍した「金融国会」

 金融再生関連法案成立については、これまでにも本コラムで言及したように、自民党の石原伸晃、渡辺喜美、民主党の枝野氏ら「政策新人類」と言われた当時の与野党若手論客がそれまでの「国対政治」の枠を超えて修正案論議を続けた結果、小渕恵三政権の野中官房長官(当時)が民主党案の丸呑みを決断し、成立したものだ。

 また、01年の9・11同時多発テロ後、02年までに北朝鮮の不審船領海侵犯事件が続発したことから有事関連法の武力攻撃事態対処関連3法の成立をみたが、これも小泉純一郎政権下の久間章生自民党政調会長代理と民主党の枝野政調会長、前原誠司NC安全保障大臣(現国交相)が裏面で協議を進めたことに負うものだった。

 07年の大連立交渉は、改めて指摘するまでもなく、安倍晋三政権下の参院選自民党大敗を受けて誕生した福田康夫政権のもとで福田首相と小沢民主党代表(当時)が渡邉恒雄読売新聞本社グループ会長の仲介で会い、いったんは合意したものの、民主党常任幹事会の反対で頓挫した。

 こうしたこれまでの与野党協議の成功・失敗例を踏まえて、9月中旬に召集される臨時国会の展開を見通せば、果たして菅体制で凌げるのかどうかが結節点となることが理解できよう。

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