福田和也「旅と書物と取材ノート」
2010年07月30日(金) 福田 和也

今回の人物 石原莞爾 vol.3

それは、理想国家だったか? 満州国を思い、大連の街を歩く

週刊現代
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vol.2 「西山農場に賭けた石原最後の夢。鳥海山の麓にその墓を訪ねて」はこちらをご覧ください。

 はじめて中国に行ったのは、一九九七年の二月だった。

 小平による「南巡講話」、まず豊かになれる者から豊かになればよい、という改革開放の呼び声がかけられてから五年近くたっていたが、未だに大連の市街はくすんでいて、荒廃の色合いが濃かった。

 たしかに高層ビルは建ちはじめていたけれど、それはまだ、街の表情を一変させるというほどではなかった。人民服の人がまだ多かった。

 ガイドによると、再開発中だというのだけれど、普請中というよりは塵芥が街角に放り出されているだけに見えた。

 戦前、日本人が四十万人、中国人も四十万人住んでいた大連は、九七年当時、人口五百三十万人となっていた。数字だけ観れば激しい膨張なのだけれど、港湾以外はそれほどの繁華という印象をうけなかった。

大連遼寧省南部に位置する。筆者が訪れた当時は、古い街並みがそのまま残っていた

 大連の中心、中山広場はアメリカ領事館以外はすべての建物が旧関東州時代のままだった。もちろん、その内実は、変化しているのだろうけれど。

 それにしても建築様式のヴァラエティはたいしたもので、ルネサンス様式から、アール・ヌーヴォーまで、西洋建築のあらゆるスタイルが集積されている。近代化の過程で西洋から吸収したものを、改めて並べて見せたようだ。

 その点からすれば、大連は未だに新開地なのだ、という印象を受けた。

 はじめロシア人たちが開き、日露戦争後、日本人が建設し、そして今また、改革開放の呼び声の下であたらしく開発されようとしている。

 百年前の新開地、五十年前の新開地、そして今日の新開地が、層をなしている光景は、どこかしらSFじみている。

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