菅首相と武村正義元官房長官会談で浮上した「反小沢」さきがけ人脈
小沢一郎「再始動」の裏側で

 参院選挙終盤の7月8日に石川県加賀市入りした後、10日間も所在不明だった民主党の小沢一郎前幹事長が東京都下・八丈島に現れたのは18日。テレビ各局の取材クルーが追い回したものの、肉声を聞くことはなかった。

 が、しかし、前回コラム(「仙谷、海江田、原口との会談からみえた「続投」「退陣」「解散」3つのシナリオ」)で触れた新党大地の鈴木宗男代表が前夜、極秘裏に小沢氏と1時間15分会談している。

 鈴木氏は「自民党は橋本(龍太郎)政権下の98年7月の参院選で大敗し、小渕(恵三)政権が誕生したときに、私は野中(弘務)官房長官のもとで官房副長官を務めた。当時の官邸が小沢さん率いる自由党との連立、その後の公明党との連立協議でどのような対応をしたのかといった昔話に終始した。生臭い話はなかった」と言うが、にわかに信じられない。

 事実、小沢氏は21日、オープンしたばかりの衆院第1議員会館の自室に姿を現し、参院選で当・落選した候補者の挨拶を受けた。そこで参院選敗因の分析をしてみせたうえで、執行部批判を行った。新聞の見出し風に言えば、雲隠れしていた小沢氏が9月の党代表選に向けて「再始動」ということになる。

 一方の菅直人首相は小沢氏に対し面会を繰り返し要請するものの、小沢氏側から無しの飛礫のため神経をとがらせている、と新聞は報じている。果たして、本当だろうか。

 というのも、菅首相が23日午後、都内のホテルニューオータニ内の「なだ万」で武村正義元官房長官と昼食をとりながら会談したからだ。この菅・武村会談の第1報は瞬時、永田町を駆け巡り、「すわ、さきがけの復活か?」と、小沢周辺に大きな衝撃を与えた。

 まさに小沢氏が新生党代表幹事時代の93年8月、同氏主導で非自民8党会派の細川護煕政権が誕生、55年体制に終止符が打たれた。

 同政権の官房長官に就任したのが新党さきがけを率いていた武村氏である。因みに、鳩山由紀夫前首相は官房副長官として政権入りした。

 が、ここで注目すべきは、短命に終わった羽田孜政権の後に発足した「自・社・さ政権」の村山富市政権時の新党さきがけのラインアップである。

 代表・武村正義、代表幹事・鳩山由紀夫以下、常任幹事に武村、鳩山、菅、園田博之(たちあがれ日本幹事長)、簗瀬進前衆院予算委員長(今参院選で落選)、田中秀征(参院選期間中、みんなの党顧問)、渡海紀三朗(前自民党衆院議員)など12人。

 菅首相は政調会長、前原誠司国交相、荒井聡国家戦略担当相と枝野幸男幹事長はそれぞれ政調副会長、玄葉光一郎公務員制度改革相・政調会長は企画局長、小沢鋭仁環境相は副院内幹事であった。

 菅政権の閣僚が5人、党執行部の2人が旧さきがけの主要メンバーなのだ。

代表選はガチンコ相撲に

 この陣立てを見れば分かるように、現在の民主党内の「反小沢」、あるいは「非小沢」の面々はさきがけ出身者である。そして菅首相が会った武村氏こそ、他かならぬ「反小沢」の原点と言っていい人物なのだ。

 細川政権時に最大の実力者だった小沢氏は一与党の新生党の代表幹事(ナンバーワンの代表は羽田孜外相・当時)でしかなかったのに、悪名高い「国民福祉税」導入を試みるなど主要政策に口をはさみ、官房長官の武村氏と衝突を繰り返した。

 細川元首相の事実上の回想録である近著『内訟録―細川護煕内閣総理大臣日記』(日本経済新聞出版社)の「93年12月16日」の項に実に面白い記述がある。「何時もと違い極めて機嫌悪し」(P・230頁)の小沢氏が首相公邸を密かに訪れ、細川首相に官房長官のクビを斬れと迫る件が詳述されているのだ。

 いずれにしてもハッキリしたことは、菅首相が一部にある「代表選不出馬」説など微塵も考えておらず、小沢氏(その代理人)とガチンコ相撲をとるつもりだということだ。

 この正面突破作戦の第一弾は、月末の27日に予定される「参院選敗北」の総括文書発表と29日の両院議員総会後に行われるはずの幹事長、幹事長代理、選対委員長の交代人事になるのではないか。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら