日高屋 神田正会長 貧乏が生んだ"逆転の発想" 転職15回、5坪のラーメン店から始めた青年が売上高227億円の大チェーンを築いた

2010年07月23日(金) FRIDAY
upperline
27歳の時に埼玉県岩槻市(現さいたま市)のラーメン店で雇われ店主になった神田氏(右)と近所の人達

中卒後、風来坊に

 神田氏は、小学校6年生の頃から、傷痍軍人で働くことができなかった父に代わり、家計を支えた。 '53年から約4年間、休日になると横田基地から川越の霞ヶ関カンツリー倶楽部にゴルフに来る在日米兵のキャディを務めたのだ。

「その時の私はとにかくカネがすべて。英語は分からないので、身振り手振りで、相手をほめ、ご機嫌をとって、ジュースなどを買ってもらっていた」

 中学生になると、キャディに加え、新聞配達を始め、卒業後は、箪笥の金具を作る製作所、浄水場の塀作り、鉄工所でのベアリング作り、運送屋、土建屋、キャバレーのボーイなど、15もの職を転々とした。一番長く続いたのが本田技研工業の工場で1年半。働きが認められ正社員に登用されたが、単調な仕事に飽きて辞めた。

次ページ  正社員になって喜んだ母親は、…
前へ 1 2 3 4 5 次へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
関連記事

最新号のご紹介

underline
アクセスランキング
1時間
24時間
トレンドウォッチ
編集部お薦め記事