伊藤博敏「ニュースの深層」
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「龍馬への想い」がアダとなった木村剛・日本振興銀行元会長の蹉跌

「いつか破綻するのは目に見えていた」

2010年07月15日(木) 伊藤 博敏
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 警視庁捜査2課は、14日、振興銀元会長の木村剛を銀行法違反の「検査忌避」で逮捕した。捜査の目的は、金融庁への挑戦的な態度を崩さず、振興銀を「木村帝国」にしてしまった木村を、銀行から排除すること。

 したがって木村は、起訴のうえ場合によっては、「余罪追及」の捜査が始まり、振興銀のみならず、経済の表舞台から去ることになるのは避けられない。

 木村が、貸し渋りに悩む中小企業に、リスクに見合う金利をつけた融資で事業協力したいと振興銀をスタートさせたのは、2004年4月。志半ば、わずか6年で倒れた木村の軌跡を辿る。

 振興銀の始まりは坂本龍馬だった。木村を銀行経営に引き込んだのは、明治維新の志士に熱い思いを抱き、特に坂本龍馬が好きだという落合伸治である。

 2002年から3年にかけて金融庁顧問として金融制度改革に取り組んでいた木村は、経営が傾けば貸し剥がすメガバンクを始めとする既存の金融機関に絶望、講演会などで「20億円もあれば銀行は設立できる。リスキーな分野にも資金を投じる新銀行を立ち上げたらどうか」と、焚きつけていた。

 それに反応したのが落合である。当時、35歳の若手だったが、20歳の時に起業、すでに15年の貸金業者としての実績があった。講演会を聞いて触発された落合は、さっそく面談の約束を取り付けると、日本橋の小料理屋で木村をくどいた。

「担保主義の銀行は、もう必要ありません。今こそ日本には、人物本位の銀行が求められている。担保ではなく人に貸す。(芙蓉グループ創業者の)安田善次郎のような銀行家に率いられた真っ当な銀行が必要です」

 東大、日銀を経て外資系KPMGフィナンシャルの代表となった木村は、そのエリートの履歴に「維新の志士」に連帯する熱い思いをたぎらせている。その"熱さ"が、落合の「人物本位の銀行を!」という思いを受け止めた。新銀行設立に関与、03年10月の銀行予備免許の取得は、木村の"尽力"がモノをいった。

 当時、木村は、落合や自分を含む設立に参加したメンバーを「草莽の志士」に例えて、こんな一文を残している。

「ともかく一歩を踏み出そう。ささやかな一歩が『維新』につながることを信じて動き始めようではないか」

 だが、落合への"安易"な信頼が、アダとなる。15年の金融業の歴史は、落合の"裾"を汚した。

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