藤井と小沢を訣別させた「自由党時代のカネ」
財務相辞任の「深層心理」を読む

 政治家ができるだけ穏便に辞めようとする時、健康状態を持ち出すことがある。

 第2次橋本内閣第2次改造(1997年9月)で、官房長官・梶山静六は首相・橋本龍太郎の続投要請を「肉体的な限界」と言って固持した。その真相を、梶山はしばらくのちに私にこう話した。

「橋本では本当に大きなことができない。でも、そうは言えないから、断る時は健康上の理由にするのが一番いいんですよ。誰も傷つけないし、断り通すことができる」

 6日に辞任した前財務相・藤井裕久も真相を語らない点で、梶山と同じ心境なのではないか。「病気辞任」に隠された藤井の胸中を推し量ってみよう。

 まず、民主党幹事長・小沢一郎との冷え切った関係だ。

 小沢と藤井は93年6月、政治改革法案の廃案に反発して自民党を一緒に離党した。その後、新生党、新進党、自由党、民主党―と一貫して同じ道を歩み、自由党時代は「小沢党首―藤井幹事長」でコンビを組んだ。

 政党の離合集散が激しかった90年代から2000年代初頭までの間に、このように常に同じ政治行動を取るのは極めて珍しいことである。2人が強い信頼と信念で結ばれていたことの証しであり、「盟友」だった。

 その関係が冷却化した理由について、民主党関係者は「自由党時代のカネの問題があって…」と言って口を濁す。これは、不可解なカネの流れを指している。

 自由党の政治資金収支報告書によると、「組織活動費」として2002年に3回に分けて計15億2930万円が藤井個人に支出されたことになっている。しかし、藤井には身に覚えがなく、このカネがどこにいったか不明だ。

 自民党は18日に召集される通常国会でこのカネの流れを追及する構えだ。このため、「藤井は国会で追及されるのを恐れて辞めた」(自民党役員)という見方がある。だが、それだけにとどまらず、このカネが小沢と藤井を分かつ原因にもなったというのが民主党関係者の解説だ。

 となると、小沢に非があることになるが、小沢から見ると、藤井が国会議員バッジを着けていることが不愉快だ。というのは、藤井は05年の衆院選神奈川14区で落選し引退を表明したのに、南関東ブロックで空きが生じた時、繰り上げ当選に応じた。昨年8月の衆院選前も引退を決めていた。2度も引退表明しながら、なぜ議員バッジを着けるのかというわけだ。

 昨年夏の衆院選で小沢が作成した民主党比例代表名簿の原案に、藤井の名前はなかった。党代表の鳩山由紀夫が比例代表名簿に登載するよう小沢に頼み込んだ。

 その結果、藤井は当選を果たしたが、衆院議員に関する小沢の価値基準に照らし合わせると、藤井は“落第生”だ。小沢は衆院議員を次の4つの階層に分けている。

(1)小選挙区で当選した人
(2)小選挙区で当選したが、同じ選挙区で敵対した候補の比例代表復活を許した人
(3)小選挙区で敗北し、比例代表で復活当選した人
(4)比例代表だけに立候補し当選した人

 この基準だと、藤井は最下層に属する。その藤井が財務相に就任すると、小沢は記者会見で「引退宣言もした方がまた現役になって、しかも一番大事な国務大臣を担うことになっちゃった」(昨年10月26日)と、嫌みたっぷりに語った。

藤井の責任問う声も 

 一方、昨年暮れの予算編成での藤井の仕事ぶりにも疑問が呈されている。ある霞が関官僚がガソリン税の暫定税率廃止が見送られた経緯を明かす。

「主要閣僚の内々の協議で、暫定税率の廃止見送りが固まっていた。それを鳩山さんに進言しようとなったとき、実際に進言したのは菅直人副総理だけだった。藤井さんは一言も言わなかった。藤井さんは戦わない人だ。小沢さんが暫定税率維持の党要望を出さなかったら、予算編成はできなかっただろう」

 高い評価を受けている藤井が実はそうでもないというのだ。これが事実なら、小沢が藤井の代わりにドロをかぶったということになる。

 辞任した藤井の深層心理が小沢との関係にあるにしても、小沢、藤井のどちらが罪深いのか。政治の真実を見極めるのは極めて難しい。(敬称略)
 

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