福田和也「旅と書物と取材ノート」
2010年07月09日(金) 福田 和也

今回の人物 石原莞爾 vol.1

山形県酒田市光丘文庫へ。
大川周明の資料に目を引かれた

週刊現代
upperline

 気がつくと、車窓は真っ白であった。

 平成七年の三月頭である。

 その前夜、一水会の木村三浩さんから、見沢知廉を引き合わされた。

 以前から、長い勤めをしている仲間が、作家志望なので、出てきたら面倒を見て欲しいと云われていた。

 高田馬場での勉強会の後、木村さん、見沢さんらと呑んだ。風邪気味だったのに、カラオケに行ってしまった・・・。

 あとで思ったのだけれど、その日は見沢さんもかなり無理をしていたのだった。一月くらいたって、新潮社にお連れするために高田馬場の駅で待ち合わせた。八〇年代風のトレーナーを着た見沢さんが、駅構内の壁を触りながら、一歩一歩ゆっくり歩いてくる。やっと改札を抜け、苦笑しながら云った。「人混みが苦手で・・・」

 独房で九年過ごすというのは、そういう事なのか、と思った。それから見沢さんは、独房での時間を取り戻すように小説を書き、ベストセラーを出し、亡くなってしまった。

 いずれにしろ、初対面の晩、私は泥酔し、なんとか帰宅し、ほとんど寝ずに東京駅のホームに辿りついた。同行してくれる編集者のI氏がやってきて、抱えるようにして新幹線に乗せてくれた。席に着いた途端、鼻血が出た。

評伝執筆にあたって課したルール

 文芸批評家として文筆生活に入り、一方で『諸君!』などの論壇誌に論文を書くという生活を五年ほどしていた。

 物書きとしての生活は、充実していたし、おかげ様で評価を得ることが出来たし、原稿の注文も沢山いただいた。

 五年近くたって、ちょっと考えた。「まとまった仕事をしたいな」と。

 この「まとまった」のニュアンスを伝えるのは難しい。文芸誌に評論の連載を書くのも、論壇誌に書いたものを単行本に纏めるのも、「まとまった」仕事には違いない。けれども、そういった仕事とは、違う、もっと大きな、時間軸としても問題設定としても、スケールの大きい物に取り組みたい・・・。

 いろいろ考えて、評伝を書く事にした。

 時代を背負った、人間の生涯を書いていく。

 その時、一つの事を決めた。

 対象の人物が行った場所には、すべて行く、という事。

 文芸評論や論壇の文章というのは、あまり取材をしない。もちろん、関係者や専門家から話を聞いたり、小説の舞台になった場所を歩いてみたり、言及されている絵画や芝居を見に行ったりするけれど、それほど頻繁ではない。

 けれど、評伝を書くからにはその人物が行った場所すべてに行こう、見てこよう、と考えたのである。

 テーマを石原莞爾にしたのは、日本の陸軍きっての鬼才でありながら、また一面、きわめて純度の高い、思想家であったこと。その二面性や複雑さに引かれたからだ。

1
nextpage


最新号のご紹介

underline
アクセスランキング
昨日のランキング
直近1時間のランキング
編集部お薦め記事
最新記事