三本和彦が語る幾星霜録 後編
マツダ90周年、ジムニー40周年、アウディクワトロ30周年・・・
嵐も風も乗り越えて

三菱自動車、初の四輪500から50年 三菱重工から独立40周年

 当時まだ重工の自動車部門だった1960年に作った三菱500が戦後初の自社開発乗用車なんだけど、これは国民車構想から生まれたものなんです。

 排気量は350~500ccで価格は25万円以下、4人乗って100㎞/h出せることといった条件があってね、それをクリアすれば政府が支援するといったもので、スバル360が有名だけど、三菱500もそれに乗っかろうと開発されたんだ。前評判が高かったわりに価格が39万円もしたから売れませんでした。

国民車構想から生まれた三菱500(上)と三本氏思い出のコルト1000(下)

 その後コルト600、ファストバックのコルト800と大きくなっていくんですが、どれも売れなかったんだね。

 そのうち乾坤一擲とばかり4サイクル4気筒エンジンを載せたコルト1000を発売したんだ。

 このクルマはわりあい出来がよくて、東京新聞の記者だったボクが三菱に5台ばかし貸してくれないかって頼んだんだ。つまり、乗りたいという読者に1週間貸しましょうという三菱1000キャンペーンをやったんだね。今でいうモニターだね。

 その頃の編集局次長にそんなもの誰が応募してくるもんか、と笑われてたんだけど、ふたを開けてみると2000通くらいの応募がありました。読者からのいろんなレポートを三菱にあげたらたいへん喜ばれてね。

 その後1200、1500とエンジンが大きくなっていきます。そしてこれまでのコルトとはまったく別のコルトギャランが生まれた頃に、三菱自動車が重工から独立するんですね。それまでは、みんな飛行機屋が作っていたんでクルマなんてたかが民生品だと思っているわけです。

 その技術者たちは、同じ重工でジープ作っていることなんて知らないんだからひどいもんです。もちろん技術力はあるんでエンジンやミッションなんかいいもの作るんだけど、コストがかかりすぎてね。三菱自動車工業になってからですね、三菱が自動車屋としてまともになっていくのは。

 その後クライスラーや韓国の現代、ダイムラー・クライスラーなんかと提携してそのたびに苦労するんだけど、ランサーでサファリを勝った頃やパジェロでパリ・ダカを勝った時のようなモータースポーツのイメージがないのはさびしいですね

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら