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三本和彦が語る幾星霜録 前編
マツダ90周年、ジムニー40周年、アウディクワトロ30周年・・・
嵐も風も乗り越えて

 幾星霜(いくせいそう)とはなんとも美しい日本語だ。「苦労を重ねた長い年月」という意味だが、幾年月に較べて、じつに味わいのある言葉だ。

 2010年はいろいろな節目に当たっているようだ。そこで日本のモータリゼーションの生き証人、年末に79歳となる三本御大に振り返ってもらった。

前身鈴木式織機株式会社から数えて スズキ90周年

 スズキはトヨタ同様機織りの機械を作っていたんですね。そのうち機織りの機械が売れなくなってきて、ほかの会社は三輪車を作り始めたんだけど、スズキは小さなバイクを始めましてね。その後、軽自動車に進出するんですけど、ポンポンメーカーなんて言われてて、小さなエンジンしか作っていなかったんですよ。

 本格的な4輪メーカーになったのは1979年のアルトのヒットからといっていいでしょう。それを主導したのが、その前年に社長になった鈴木修さんだね。自動車は高すぎる、工業製品は広くゆき渡らなければならないという発想で47万円という破格の値段で発売して大ヒットしたんだ。

 その頃鈴木さんに初めてお会いするんだけど、こんな気さくな社長さん初めてだったね。それまでの社長さんは大過なく全うして勲章もらってみたいな感じだったからね。

 鈴木修さんは銀行マンでスズキに出入りしていて、2代目の社長さんだった鈴木俊三さんの娘婿になったんだね。

 鈴木俊三さん自身も婿さんだったから、修さんが当時静岡県可美村だった本社を東京に移転したいといった時に「東京に行ってどれほどいいことがあるんだい。婿は会社を大きくして当たり前、失敗したら何を言われるかわからないぞ。婿であることを忘れるな」と意見されたそうだよ。

 鈴木さんの大きな功績といえば、アルトの前のフロンテが2ストのエンジンしかなくてね、排出ガス規制の前にニッチもサッチもいかない時にトヨタに技術協力をお願いしたことだね。トヨタはダイハツを紹介しフロンテにはダイハツのエンジンが載ることになるんだ。あの時はほんとうに危機だったでしょう。その頃専務だった修さんが話をまとめたんだね。

1979年誕生のアルト。47万円という驚きの価格と物品税が商用車は無税という追い風もあって、バンを中心に爆発的にヒットした

 その2ストのフロンテを「新車情報」で取り上げた時に、のちに社長になった津田さんが、「我々の先見のなさで2ストロークエンジンしか載せられませんでした。

 でももう少しお待ちください」とテレビで素直に謝っちゃうんだから驚いたね。

 そういったまじめで朴訥としたところが今もスズキの社風になっているよね。天下のVWと提携したっていうのにおごったところなんかどこにもないものね。

 それから鈴木修さんの人となりを表わすエピソードだと思うんだけど、スズキには何人課長さんがいるかわからないけど、おそらく何百人もいるんでしょう、そのひとりひとりの家庭環境を把握していて、「息子は国立大学に受かったかい?」とか「娘さん縁談が決まってよかったなあ」というふうに全部記憶しているらしいんだ。

 風通しのよさを社長自ら実践しているんだから凄いよ。先を読む力もあるしね。そろそろ後継者育てないとねっていったら、「ウチのやつらは世間が狭くてね」とまだまだ社長と会長やるっておっしゃってたけど、この人が元気なかぎりスズキは安泰だ。

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