日ロ首脳会談『大失敗』を報じた朝日新聞と北海道新聞の「大きな違い」
外務省の『大本営発表』に踊らされた大メディア

 5月26日午前(現地時間、日本時間同27日未明)、カナダのムスコカ(トロント近郊)で日露首脳会談が行われた。今回の日露首脳会談が、日本側、端的に言えば、菅直人首相の準備不足のために、鳩山由紀夫前政権時代に動き始めた日露関係を再び「冬の時代」にもどしてしまう出発点になりかねない。

 対露外交に従事する外務官僚は、もちろんこのことをよくわかっている。

 それだから、太平洋戦争中、ガダルカナル島からの撤退を「転進」と言い換えるようなダメージコントロール型の「大本営発表」を行ったのだ。日本外務省HPに掲載された北方領土関連部分は次の通りだ。

< 2.領土問題

(1)領土問題について、首脳レベルを始め、高いレベルでのコンタクトを通じ、前進を図っていく必要があるとの認識で一致。

(2)上記に加え、菅総理から以下を発言。
  (ア)メドヴェージェフ大統領が、2008年のG8洞爺湖サミット以来、領土問題の解決に向けて一貫して強い意欲をお持ちであり心強く思う。
  (イ)領土問題の解決は65年以上にわたる我が国国民の悲願。自分としても、鳩山前総理が最も力を入れた、この問題の最終的な解決のために首脳レベルで前進を図っていきたい。

(3)これに対してメドヴェージェフ大統領は、領土問題は、両国関係の中で最も難しい問題であるが、解決出来ない問題ではない、双方に受け入れ可能な、建設的な解決策を模索していきたいと述べた。 >

 ロシア側がもっとも注目していたのは、鳩山前首相とメドべージェフ大統領の間で合意した、9月に日本国首相がロシアのヤロスラブリを訪問する外交日程が継続されるか否かであった。菅首相がこの件に言及しなかったことによって、ロシア側は対露政策における鳩山前政権と菅現政権の断絶は大きいと見たことであろう。

 さらにロシアにとって焦眉の懸念はキルギス情勢の悪化だ。日本はキルギスに対して影響力をもっている。しかも、現在、キルギス系住民とウズベク系住民の間で大規模な民族紛争が発生しているオシ州は、フェルガナ盆地に位置し、地理的にアフガニスタンと近く、現在もタリバンやアルカイダとつながる勢力が潜伏している地域だ。

 テロとの戦いという観点で、この問題を日本側から提起すれば、メドべージェフ大統領は身を乗り出してきた。しかし、菅首相がそのような働きかけをした形跡はまったくない。

 もちろん外務官僚は、キルギスにおける戦略的提携をロシア側に提案すれば、それが日露の信頼関係強化につながり、北方領土交渉の環境整備に貢献することはわかっている。

 しかし、それをしない。筆者の見立てでは2つの理由がある。

 第1は、菅政権がどこまでもつかわからないので、現時点では様子見をすることが、外務省の省益に適うと考えているからだ。

 第2は、日露の戦略的提携を進めることで、米国の機嫌を損ねるのではないかという、米国に対する形而上的恐れだ。

 メドべージェフ大統領が菅首相に対して述べた、「領土問題は、両国関係の中で最も難しい問題であるが、解決出来ない問題ではない、双方に受け入れ可能な、建設的な解決策を模索していきたい」という言葉は、ロシア側の発言応答要領(外交交渉のとき、相手の発言にどう答えるかというマニュアル)の中の「最も硬い」、日本側から見れば「最低ライン」のものだ。

 このような発言しかメドべージェフ大統領から引き出せなかった今回の日露首脳会談は、日本側から見れば、完全に失敗だ。

 この失敗を外務官僚は、< 菅総理就任後、初めての首脳会談であり、両首脳間の信頼関係に基づく本格的な対話を行っていくための良いスタートとなった >(日本外務省HP)ことがポイントなどという笑止千万の大本営発表で誤魔化そうとしている。

 問題は、日本のマスメディアが外務官僚の大本営発表を鵜呑みにしていることだ。27日16時25分のasahi.comにアップされた以下の報道を見て、筆者は驚いた。

< 領土問題の進展「首脳級で協議」 日ロ会談で確認

【トロント(カナダ)=西山公隆】菅直人首相は26日午前(日本時間27日未明)、G8サミットの開催地カナダ・トロント近郊のムスコカで、ロシアのメドベージェフ大統領と会談した。北方領土問題については首脳レベルで協議を重ねて前進を図る方針を確認したにとどまり、具体的な進展は得られなかった。

 首相は会談で、ロシアを「連携を強化すべきアジアの隣国だ」と位置づけて、「領土問題を含めた日ロ関係を前進させる条件が以前よりも整ってきた。首脳レベルで前進を図りたい」と呼びかけた。大統領は「領土問題は両国でもっとも難しいが、解決できない問題ではない。

 建設的な解決策を模索したい」と応じた。ただ、11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)までに首脳会談を重ねて打開を図るという鳩山由紀夫前首相の狙いは、いったん振り出しに戻った。

 G8の首脳宣言が、韓国哨戒艦沈没事件を非難したことに関連して、大統領は「北朝鮮の問題は複雑な問題を生じかねず、注意深く見守っていくべきだ」と述べた。 >

 9月のヤロスラブリ訪問が確認されなかったことの意味がまったく記されていない。更にこの記事を書いた記者は、ヤロスラブリの日露首脳会談で鳩山前首相が北方領土問題に関する「腹案」をもっていたことに気づいていない。

 そもそも、恐らく外務官僚が準備した発言案をそのまま読んだのであろう「領土問題を含めた日ロ関係を前進させる条件が以前よりも整ってきた」という菅首相の発言が、実態に合致しているのかどうかという批判的視座がこの記事を書いた記者にはまったくない。

 少し厳しい言い方になるが、自分の頭で考えずに、官僚が流してきた情報をそのまま文字にしている。

 もっとも翌28日の朝日新聞朝刊に掲載された記事はより短く次のようになっている。

< 領土協議の継続を確認 日ロ首脳

【トロント=西山公隆】菅直人首相は26日午前(日本時間27日未明)、トロント近郊のムスコカで、ロシアのメドベージェフ大統領と会談した。北方領土問題については首脳レベルで協議を重ねて前進を図る方針を確認したにとどまり、具体的な進展は得られなかった。 >

 紙面の都合だったか、「領土問題を含めた日ロ関係を前進させる条件が以前よりも整ってきた」などという菅首相のあまりに実態から乖離した内容を朝日新聞の読者に提供することは不適切であるという編集上の判断からこの部分が削られたかは、わからない。結果として、紙版の朝日新聞が外務官僚の大本営発表の媒体とならなかったのはよいことだ。

 日露首脳会談に関する北海道新聞の記事は、朝日新聞と本質的に異なる。

< 領土 感触探り合い*日ロ首脳会談*交渉は仕切り直し

 菅直人首相とロシアのメドベージェフ大統領は26日の首脳会談で、鳩山由紀夫前首相の辞任を受けた日ロ関係の再構築に着手した。経済面での協調は確認したが、北方領土問題では互いの感触を探り合うにとどまり、交渉は事実上の仕切り直しとなった。(カナダ・ムスコカ 山下幸紀、モスクワ 加藤雅毅)

「ロシアはアジア太平洋にも面し、連携を強化していくべきアジア地域の隣国だ」。菅首相は首脳会談で、ロシアとの連携重視を強調した。大統領は「自分たちもアジアと太平洋の国だ」と応じた。首脳間の個人的な信頼関係を築くという日ロ共通の目的は、順調に滑り出したように見えた。

 メドベージェフ大統領は2012年の次期大統領選に向け、ロシアの「近代化」を一枚看板に掲げる。9月に中部ヤロスラブリで開く国際フォーラムも「近代化」がテーマ。日本の経済成長の経験を学ぼうと、鳩山前首相をその目玉ゲストとして招請していた。

 日本側もロシアの近代化を後押しすることで、関係の再構築を狙う。菅首相が会談で、技術や投資による「経済近代化」への協力を表明したのも、この流れに沿ったものだ。

 しかし鳩山前首相が辞任した今、フォーラムへの菅首相の出席は「現時点で何も決まっていない」(同行筋)。このことは領土問題交渉の行方にも影を投げかける。

 鳩山前首相は、このフォーラムの際に首脳会談を想定。歯舞・色丹の2島プラスアルファの返還をまず実現させる具体案に踏み込むことまで模索していた。しかし退陣で、構想は白紙に返った。

 菅首相は今回の首脳会談で「鳩山前政権の思いを継承する」と表明した。しかし、外交の優先順位すら固まっていない現状で、領土問題解決への道筋まで踏襲する保証はない。

菅政権の足下をみるロシア

 ロシア側も日本の足元を見透かしている。鳩山前政権の急激な支持率低下を受け、今年前半に予定していたラブロフ外相の訪日は先送り。参院選と、その後の民主党代表選をにらみ、菅政権に対しても様子見が続く。

「今は、あなたが歴史をつくる」。首脳会談に先立つ25日、大統領はサミット会場で菅首相に語りかけ、野心をくすぐった。しかし、首相が政権の安定を実現できなければ、その環境さえ整わない。 >(6月28日北海道新聞朝刊)

 北海道新聞の記者には、ヤロスラブリ訪問が北方領土交渉において重要な意味をもつことがわかっている。ロシアが菅政権の安定度を慎重に見極めていることにも気づいている。

 菅首相の発言についても、< 菅首相は今回の首脳会談で「鳩山前政権の思いを継承する」と表明した。しかし、外交の優先順位すら固まっていない現状で、領土問題解決への道筋まで踏襲する保証はない > と冷たく突き放している。今回の日露首脳会談に関する北海道新聞の報道は他紙と比較して傑出している。

 その理由は、記者個人の能力や資質とはことなるところにある。視座の問題だ。朝日新聞をはじめ、全国紙の政治、外交記事は、東京の政治家、官僚、有識者を無意識のうちに想定して書く。これら東京の政治エリートは、現在、対露外交や北方領土問題に関して強い関心をもっていない。

 それだから、そのようなテーマについては、官の側から提供された情報を要領よくまとめ、客観報道としてまとめあげればよいという発想に、無意識のうちになる。

 これに対して、北海道新聞の場合、道民の北方領土問題に関する関心は高い。それだから、外務官僚の発表を右から左に流すような報道をすると、読者の反発を買う。当然、そういう記事を書いた記者の社内的評価が下がり、出世に悪影響を与える。

 それだから、北海道新聞の記者は、北方領土問題に関連する事項については、徹底的な取材を行い、自分の頭で考えた記事を書くのだ。

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