企業・経営
ダイキン工業も秘書室長を抜擢
私が「秘書出身社長」続出を懸念する理由

ダイキンはM&A戦略を積極的に進め、世界90ヵ国に拠点を持つグローバル企業  〔PHOTO〕gettyimages

 エアコン大手のダイキン工業の次期社長人事に注目している。6月29日付で、十河政則・取締役兼専務執行役員(秘書室長)が社長に昇格する人事だ。

 ダイキンは本社が大阪市内にあるため、東京での存在感は大きくないが、M&A戦略を積極的に進めるなど今や世界90ヵ国に拠点を持つグローバル企業。2010年には空調ビジネスでは上高世界首位の座を獲得した。

 11年3月期連結決算は、売上高が13%増の1兆1603億円、営業利益が71%増の754億円、当期純利益が2%増の198億円と好業績を維持。ダイキンはリーマンショック前までは10年以上も増収増益を続ける快進撃で業績を伸ばした。その後、業績に陰りが見えたものの、直近の決算を見る限り、海外で空調事業が好調なほか、もうひとつの柱であるフッ素樹脂などを製造する化学事業も伸びている。

 ダイキンの好業績の理由のひとつには、1994年に社長就任後、不採算事業のリストラなどで強烈なリーダーシップを発揮し、現在も会長を務めている井上礼之氏の経営手腕が挙げられるだろう。今回の人事でも岡野幸義現社長が相談役に退き、井上氏は引き続き会長職に留まる。オーナー企業でもないのに17年間以上もトップを務めるケースは稀だ。

 冒頭でダイキンの次期社長人事に注目していると言ったのは、井上氏の「指名」で新社長に選ばれた十河氏は1973年の入社以来、工場や営業など事業部門の経験がほとんどなく、本社で秘書や人事を中心に歩んできたからだ。技術、生産、営業といった現場を知らない製造業のトップというのは珍しいキャリアと言える。

「独裁者の井上会長は気難しい人なので、なかなかお眼鏡にかなう人がいない。しかし、もう76歳なので後継者を探さないといけないが、周りを見渡すと、自分を長年支えてくれた秘書しかいなかったということではないか」(ダイキン役員OB)といった冷めた見方もある。

 井上氏には「不運」な面もある。02年に満を持して後継者に選んだ同志社大の後輩で「一の子分」と言われた北井啓之社長が、腎臓を患い、わずか2年で退任。苦肉の策として役員を退任するはずだった高齢の岡野氏を社長に引き上げたという経緯があるからだ。「北井氏の退任後は、事実上の社長は井上会長であった」(関西財界筋)。

 ただ、経営者の大きな仕事のひとつは、次の経営者を選ぶことでもある。北井氏が退いて以降約7年が経過しており、その間、井上氏の後継者育成が十分だったかと言えば、そうではないようにも映る。

 ダイキンの今回のトップ人事は、秘書出身の社長の実力、独裁後の経営体制といった点で興味深い。

 他社には失敗事例が多々ある。

 ダイキンは、トヨタ自動車で生産部門が長かった元副会長の池渕浩介氏を社外取締役に迎えるなど、トヨタを「もの造りの師匠」として仰いできた。実はそのトヨタは秘書出身社長が経営の舵取りを誤った。トヨタ前社長の渡辺捷昭副会長は秘書・総務・経営企画といった本社部門での経験しかなく、常務になって初めて工場勤務をしたキャリアだった。だが、トヨタでは「名参謀」として知られ、長期ビジョンなどを作成させれば天下一品の実力を示した。

 しかし、渡辺氏はリーマンショック前から北米での在庫が膨らんで「黄信号」が灯っていたのに、ブレーキを踏まず、自分の代に業績が落ちることを極度に恐れた。トヨタでは95年に社長に就任した奥田碩氏(現相談役)が海外事業を強化して拡大路線を取り、それが成功し、トヨタは2兆円を超える利益を出したが、渡辺氏が社長に就任した05年頃には、兵站は伸び切り、品質管理も甘くなり、拡大路線を軌道修正する局面にあった。

 渡辺氏はその決断ができなかった。軌道修正が遅れたために、トヨタの傷は深まり、営業利益で日産に負けるなど経営の「低空飛行」は今でも続いている。

秘書出身者が役員にいる大手メディア

 プロ野球界では「名選手、名監督にあらず」という格言があるようだが、トヨタの渡辺氏の場合は「名参謀、名経営者にあらず」といったところだろう。

 三菱自動車工業でも、90年代前半にレジャー用車ブームで先鞭をつけ業績を拡大し、「天皇」と言われた中村裕一社長(当時)も後継者選びで失敗した。95年、「本命」と見られていた実力者の常務ではなく、経営企画を担当していた子飼いで側近の無名の常務を社長に「抜擢」。しかし、その常務はわずか数ヵ月で社長の重圧に耐えられず、体調を崩し、入社式にも出られなく、わずか1年で社長を退任した。社長の器ではなかった。

 その頃から三菱自動車では米国でのセクハラ事件、総会屋への利益供与など不祥事が相次ぎ、極め付きはリコール隠し事件だった。社長もころころと変わり、業績は落ち込む一方で、今でもその「後遺症」に悩んでいる。三菱商事や三菱東京UFJ銀行、三菱重工業など「三菱村」が経営を支えて何とか生き延びているのが現状だ。

 震災時のシステム障害で金融庁や世間から厳しい目で見られている、みずほフィナンシャルグループも、統合の母体となった旧富士銀行、旧日本興業銀行、旧第一勧業銀行出身の3トップが後進に道をなかなか譲らず、トップに居座り続け、顧問に退いた後も「院政」を敷きやすいように自分の「ポチ」を後継者に選んだ。その挙句、こうしたトラブルを起こし、銀行の持つ「公共性」という使命を果たせなかった。

 東京電力でも実力者の勝俣恒久会長が、「院政」が敷きやすいように自分より能力が低い清水正孝社長を選び、その挙句、原発対応でもたつき、国民の信頼を失っている。

 朝日新聞社でも「社長秘書役」が出世コースとなっており、役員待遇以上の顔ぶれを見ると、この役職を経験した人がかなりいる。日経新聞でも元社長の秘書が役員の中にいる。大手マスコミの中には、記者として編集者としてマネージャーとして実力もないのに、なぜか経営者に食い込み、実力とは不相応の地位にいる人材が少なからずいる。

 そうした人材は経営者が交代しても、また次の経営者に食い込んで要職に就く。マスコミ経営が苦しいのは広告や部数の落ち込みといった外的要因だけではなく、こうした人材の選抜方法に原因もあるのではないか。

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