政局
菅退陣なら「仙谷復興・選挙管理内閣」のシナリオだった
「不信任政局」の裏で動いていた
「意外な人物」

 政治の世界での権力闘争は熾烈であると同時に、魑魅魍魎である。相手を打ち倒すためには何でもありだ。平気でウソもつくし、約束を破るなど日常茶飯事のことだ。55年体制下の自民党政権時代の総裁選がその象徴である。

 今回の「不信任政局」で注目を集めたのは、6月2日午後、衆院本会議で内閣不信任決議案採決直前に官邸で菅直人首相が鳩山由紀夫前首相と交わした「覚書」である。この種のことは過去にもあった。

 1959年1月、当時の岸信介首相は帝国ホテルで政敵・大野伴睦副総裁と会い、右翼の巨頭・児玉誉士夫、萩原吉太郎北海道炭礦汽船社長、永田雅一大映社長の3人が見届け人となり、「次の政権は大野に」と一筆したため署名した。しかし結局、岸氏は、それを反故にした。

 最近で言えば76年12月、当時の福田赳夫首相が品川パシフィックホテルでライバルの大平正芳幹事長と会談、保利茂(佐藤栄作政権最後の幹事長)と園田直外相の2人を立会人にして「2年で交替」を密約したが、これまた守られることはなかった。

 政治権力闘争のうえで交わされる「覚書」とか「念書」といったものが端から信用できないことは歴史が証明しているのだ。

 1.民主党を壊さないこと2.自民党政権に逆戻りさせないこと3.大震災の復興並びに被災者の救済に責任をもつこと、の3項目を盛り込んだ「覚書」を交わしたうえで、鳩山氏が菅首相に退陣時期を明言するよう求めたが、菅氏は「ここに書いてあることが合意だ」と突っぱねた。この時点で勝負あり、だった。

消えた「仙谷首相、前原官房長官」のシナリオ

 その後の民主党代議士会で、菅首相は涙目で「大震災の取り組みに一定のメドがついた段階で、若い世代に責任を引き継いでいきたい」と語り、内閣不信任案可決の流れを一気にひっくり返した。さらに菅氏は反対圧倒的多数で否決後の記者会見で、問題となった「一定のメド」について、東京電力が先に福島第一原発事故収束に向けて示した工程表にある「来年1月の冷温停止が原発事故の一定のメドだ」と述べたのだ。年明けまでの「続投」の意向を表明したのである。

 まさに狡猾とは、このような菅氏のことを言うのだ。これを「ペテンだ」と言い募る鳩山氏とは役者が一枚違う。つまり、今回の"不信任騒ぎ"では小沢一郎元代表が土壇場で反対に回った鳩山前首相に裏切られ、その鳩山氏は菅氏に翻弄されたうえに周辺から怨みを買ったのである。

実はもう一人の人物が今回のドラマの裏面で動いていたと、筆者は見ている。

 では、菅首相は当面、安泰なのか? 答えは、もちろん「ノー」である。

 自民党のベテラン組と謀って内閣不信任案提出を仕掛け憤死した小沢元代表と、計略をもって何とか首の皮一枚つながった菅首相との間で、実はもう一人の人物が今回のドラマの裏面で動いていたと、筆者は見ている。その人物は、前原誠司前外相である。

 内閣不信任案が僅差で可決していれば、菅内閣総辞職=菅退陣を余儀なくされ、と同時に造反分子の首謀者の小沢元代表を除籍(除名)処分にできる。即ち、「菅降ろし」と「小沢排除」の一石二鳥を実現したうえで、仙谷由人官房副長官を後継代表に擁立、自民党との大連立政権を樹立するというシナリオである。

 この「仙谷復興・選挙管理内閣」を期限付きで立ち上げ、懸案の税と社会保障の一体改革(消費増税)、難航するTPP(環太平洋フォーラム協定)参加、自民、公明両党も望む選挙制度改革(中選挙区復活)などを実現するという目論見ではなかったのか。前原氏が官房長官として仙谷首相を支え、自民党から大島理森副総裁や林芳正政調会長代理など、たちあがれ日本から園田博之幹事長らが入閣するというものだ。

 だが、この「前原シナリオ」も、政権維持に執念を燃やす菅氏の二枚腰で雲散霧消となった・・・。それにしても、世上の「菅首相は速やかに退陣時期を示せ」の声に抗することは容易ではない。菅氏の時間との戦いは続く。

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