歳川隆雄「ニュースの深層」
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菅退陣なら「仙谷復興・選挙管理内閣」のシナリオだった
「不信任政局」の裏で動いていた
「意外な人物」

2011年06月04日(土) 歳川 隆雄
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 政治の世界での権力闘争は熾烈であると同時に、魑魅魍魎である。相手を打ち倒すためには何でもありだ。平気でウソもつくし、約束を破るなど日常茶飯事のことだ。55年体制下の自民党政権時代の総裁選がその象徴である。

 今回の「不信任政局」で注目を集めたのは、6月2日午後、衆院本会議で内閣不信任決議案採決直前に官邸で菅直人首相が鳩山由紀夫前首相と交わした「覚書」である。この種のことは過去にもあった。

 1959年1月、当時の岸信介首相は帝国ホテルで政敵・大野伴睦副総裁と会い、右翼の巨頭・児玉誉士夫、萩原吉太郎北海道炭礦汽船社長、永田雅一大映社長の3人が見届け人となり、「次の政権は大野に」と一筆したため署名した。しかし結局、岸氏は、それを反故にした。

 最近で言えば76年12月、当時の福田赳夫首相が品川パシフィックホテルでライバルの大平正芳幹事長と会談、保利茂(佐藤栄作政権最後の幹事長)と園田直外相の2人を立会人にして「2年で交替」を密約したが、これまた守られることはなかった。

 政治権力闘争のうえで交わされる「覚書」とか「念書」といったものが端から信用できないことは歴史が証明しているのだ。

 1.民主党を壊さないこと2.自民党政権に逆戻りさせないこと3.大震災の復興並びに被災者の救済に責任をもつこと、の3項目を盛り込んだ「覚書」を交わしたうえで、鳩山氏が菅首相に退陣時期を明言するよう求めたが、菅氏は「ここに書いてあることが合意だ」と突っぱねた。この時点で勝負あり、だった。

消えた「仙谷首相、前原官房長官」のシナリオ

 その後の民主党代議士会で、菅首相は涙目で「大震災の取り組みに一定のメドがついた段階で、若い世代に責任を引き継いでいきたい」と語り、内閣不信任案可決の流れを一気にひっくり返した。さらに菅氏は反対圧倒的多数で否決後の記者会見で、問題となった「一定のメド」について、東京電力が先に福島第一原発事故収束に向けて示した工程表にある「来年1月の冷温停止が原発事故の一定のメドだ」と述べたのだ。年明けまでの「続投」の意向を表明したのである。

 まさに狡猾とは、このような菅氏のことを言うのだ。これを「ペテンだ」と言い募る鳩山氏とは役者が一枚違う。つまり、今回の"不信任騒ぎ"では小沢一郎元代表が土壇場で反対に回った鳩山前首相に裏切られ、その鳩山氏は菅氏に翻弄されたうえに周辺から怨みを買ったのである。

次ページ  では、菅首相は当面、安泰なの…
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