牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」
2010年06月17日(木) 牧野 洋

「ハイテク版暮らしの手帖」を実践するアメリカ最強のITジャーナリスト

「製品カタログ」を寄せ集めた日本の新製品コラムとは大違い

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 1991年秋、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙で新コラム「パーソナルテクノロジー」がスタートした。同コラムの執筆者は、それまで安全保障問題担当記者として冷戦終焉や湾岸戦争を取材し、世界中を飛び回っていたウォルト・モスバーグだ。

「君は一体どこから来たの?(Where did you come from?)」

 数ヵ月後、WSJのワシントン支局。モスバーグはマイクロソフト最高経営責任者(CEO)のビル・ゲイツと初対面していた。

 これがゲイツの第一声だった。

 当時、パソコン業界は普及途上の段階にあり、モスバーグの言葉を借りれば「仲間内だけで固まっていた時代」。ゲイツはほとんどのIT(情報技術)記者を知っているばかりか、それぞれの経歴まで把握していた。一方、IT記者の多くはIT業界出身のエンジニアであり、業界紙で働いていた。ゲイツとIT記者は同じ穴のむじなだった。

 それだけにモスバーグは異質の存在だった。どこからともなく突然現れ、業界紙ではなく全国紙のIT記者になったのである。しかも、ほかのIT記者よりも高齢(当時44歳)であるうえ、エンジニアとして働いたこともなかった。ゲイツの「どこから来たの?」には「大丈夫なの?」という意味合いがあったのだろう。

 モスバーグは、ゲイツのぶっきらぼうな第一声を聞いても疎外感を味わうことはなかった。むしろ「期待通りの反応を聞けた」と思った。「業界専門記者が業界向けに小難しい記事を書く」のではなく、「普通の新聞記者が消費者の視点でだれにでも分かる記事を書く」のを目指していたからだ。

 ITコラムニストになったにもかかわらず、「ITの世界首都」シリコンバレーではなくワシントンにオフィスを構え続けているのもそのためだ。

「独占企業」マイクロソフトを方針転換させたコラム

 当初、WSJはシリコンバレーへの異動を当然視していた。当時の編集局長ノーマン・パールスタインは言った。

「シリコンバレーはIT企業の一大集結地。新コラムをスタートさせるのに合わせて、シリコンバレーに駐在してもらいたい」

 モスバーグはきっぱりと断った。

「わたしの家族はワシントンに長く住み、気に入っています。もう1つ重要な理由があります。消費者の視点を維持することです。シリコンバレーを拠点にしたら、業界人に囲まれて生活する格好になり、知らず知らずのうちに業界の論理で考えるようになってしまいます。そうなったら新コラムの成功はおぼつかないでしょう」

「どうやってIT業界を取材するつもりなんだ? どうやって新製品をいち早く見るんだ?」

「心配無用です。年に4回か5回はシリコンバレーへ出張します。シリコンバレーなど西海岸の取材先もワシントン支局を訪ねてくれるはずです。WSJは有力経済紙ですから。取材に大きな支障が出てくるとは思いません。シリコンバレーへ異動すると業界に近くなり過ぎ、むしろ弊害だと思います」

 「パーソナルテクノロジー」誕生から20年近く経過した。今やその影響力は伝説的になっている。

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