雑誌
すき家 小川賢太郎社長が語った「外食日本一への道」
ビジネス最前線
東大中退後、吉野家時代を経て33歳で創業
長身で筋肉質な体格に、豪放磊落な性格という小川社長。スポーツマンでベンチプレスでは135キロを上げる〔PHOTO〕船元康子

「外食日本一? まだまだ4合目だよ」

 本誌の直撃に対し、そう言って豪快に笑うのは、牛丼店『すき家』チェーンを展開するゼンショーの小川賢太郎社長(61)だ。ゼンショーと言えば、昨年12月に牛丼並盛を280円という破格の安さで提供して、"牛丼御三家"の松屋、吉野家とともに"牛丼大戦争"を繰り広げた話題の企業。

 今年4月には、さらに30円値下げした期間限定の「250円牛丼」を投入。専門家の間では意味のない"消耗戦"と揶揄する声もあった。しかし、ゼンショーは、約89億円の大赤字となった吉野家とは対照的に、好業績を叩き出したのだ。

 5月に発表された'10年3月期の決算では、連結売上高が7.7%増の3342億円と過去最高を記録。来期予想はさらに、10.3%増の3685億円。これが実現すれば、外食最大手である日本マクドナルドホールディングスの連結売上高予想3130億円を超え"外食日本一"になるのだ。

「他社との比較は意味がない。当社は今、富士山にたとえるなら、樹海を抜けて、ようやく5合目の踊り場が見え始めたところ。樹海の中で迷わず、遭難もせずに進むのは大変なこと。それをなんとか切り抜けたにすぎない」

 33歳でゼンショーを創業し、約30年で傘下企業37社の一大グループを作り上げた小川社長。ユニークな経歴と行動力で、業界の異端児として知られる同氏の"素顔"に迫った。

500万円で始めた弁当屋

 東大を3年で中退した小川社長は、それから10年ほどたった'80年頃、4人の仲間とともに起業を決意する。起業の理由は、ずいぶんとブッ飛んだものだった。

「人類が直立歩行してから400万年経つが、皆がまともに食えたことはない。現代でも十数億人が飢えている。では、地上から飢餓と貧困をなくすには、どうすればいいか。食に関わる企業を作り、世界一になればいいと考えた。カネはなかったが、志だけは高かった」

 '82年に資本金500万円でゼンショーを設立。家賃6万円で6坪の店舗を借り、そこで持ち帰りの弁当屋を始めた。弁当屋にしたのは、座席のある店舗を構える必要がなく、小さな店だけで事業を始められるから。

 ゼンショーの名前には、善い商いを行う「善商」、日本のスピリットを商いで海外に伝える「禅商」、相撲で言う15戦0敗「全勝」優勝という、三つの意味を込めた。

 だが、カネがないので、絶対に失敗できない。そこで、場所の選定のために綿密な調査を実施。住民の年齢や性別、駅からの距離、工場や商業施設の有無などを調べつくし、労働者が多く、昼夜問わず弁当が売れそうな神奈川県の生麦を1号店の場所に決めた。とにかく朝から晩まで働いた。

 隣が蕎麦屋だったが、その女将には「いつ寝ているんだ。セブン-イレブンか」とからかわれたという。

 弁当屋は当初から月商500万円を達成するなど順調で、7店舗まで増えた。だが、小川社長は、重要なことに気付いた。

「売上高を計算していくと、世界一になるまで時間がかかりすぎることが分かった。少なくとも生きている間にはムリだった。そもそも弁当は、おかずの内容を考えたり、煮物を毎日変えたりと、作業が複雑。世界一になるにはチェーン展開して作業を単純化、標準化していく必要があるが、それも難しかった。そこで、牛丼屋チェーンに方針転換した」

 なぜ牛丼だったのか。実は、小川社長、ゼンショーを創業する以前の'78年から2年半、吉野家でサラリーマン生活を送っていたのだ。店長、経理、人事を経験し、退職する直前は、経営企画室だった。

'82年創業当時のゼンショー本社(神奈川県・生麦)。現在は東京都港区に移転。下の写真はすき家の日本橋兜町店

  吉野家は当時、創業社長・松田瑞穂の拡大路線でつまずき、経営難に陥っていた。小川社長は、再建計画を練る5人のメンバーの一人として、先行きを危ぶむ銀行との折衝役をまかされた。

「銀行側は、牛丼チェーンはもうダメだと言った。一方、私は、むしろこれからなんだと強く主張した。自動車、電機、チェーンストアといったように、戦後日本はアメリカの後を追った。そして、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなどは、アメリカでもまだ伸びていた。だから、牛丼のようなファストフードは、これから成長するんだと説得した」

〔PHOTO〕香川貴宏(以下同)

 だが、"強面"の小川氏がスゴんでも、銀行が折れることはなかった。吉野家は'80年に会社更生法の適用を申請し、約100億円の負債を抱えて"倒産"。小川社長は、その後、吉野家を辞めた。

「牛丼への思いは当時から変わらない。日本人が2000年前から食べてきた米と、大豆を発酵させて作った世界最高の調味料である醤油、人類が開発した最高の肉である牛肉。

 それらを組み合わせた牛丼は、シンプルで飽きがこない食べ物で、世界に誇るべきものだ。それが正しかったことは今胸を張って言える」

 小川社長にとって、弁当屋から牛丼屋への転換は、ごく自然な流れだったのだ。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら