「あと90票で首相は取れた」と怪気炎をあげる小沢一郎「返り咲きの野望」
師匠・田中角栄の晩年と酷似

「参院選に勝利して政権を安定化することで、本当の意味の改革が実行できる。そのときに、まさに自分自身が先頭に立って頑張ってまいりたい」-。

 前首相・鳩山由紀夫の"抱き合い心中"作戦によって表舞台から去った民主党前幹事長・小沢一郎は辞任から2日後の4日、党岩手県連の集会に寄せたビデオレターでこう語り、早くも復権に動きだした。

 新首相・菅直人が進める「脱小沢」によって息も絶え絶えになったかに見える小沢が返り咲くことはあるのだろうか?

 小沢の姿を見ていると、小沢の政治の師である元首相・田中角栄と重なる。

 1983年10月12日、ロッキード事件を審理していた東京地裁は田中に対し、懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を言い渡した。田中は野党の議員辞職要求に応じず、同年暮れ、衆院選に突入した。

 この衆院選で、田中は選挙区の新潟3区で首相時代にも得られなかった22万票もの圧倒的な得票を記録した。しかし、自民党は大敗。選挙後、非主流派はときの首相・中曽根康弘の責任を厳しく追及し、中曽根は首相続投を容認してもらう見返りに「いわゆる田中氏の政治的な影響力を一切排除する」との異例の総裁声明を発表せざるを得なかった。

 田中の影響力排除を表明した総裁声明に当たるのが、菅が3日の代表選出馬会見で語った次の言葉だった。

「少なくともしばらくは静かにしていただいた方が、本人にとっても民主党にとっても、日本の政治にとってもいいのではないか」

 小沢に自制を促すと同時に、菅自身も小沢の影響を受けないという宣言だった。

 この発言は菅政権の性格を決定づけることになった。言い換えるなら、菅が小沢と融和を図ろうとすれば、急上昇した内閣支持率はたちまち暗転することになるだろう。

 「脱小沢」路線は、菅が国民の支持を取り付けるために正しい選択だ。かつて元首相・小泉純一郎が自民党を「抵抗勢力」と位置づけ「自民党をぶっ壊す」と叫んで2001年7月の参院選で勝利したように、菅が小沢を敵対勢力と位置づけるなら参院選で勝つ可能性が生まれる。

 だが、菅が小沢を敵対視することは、小沢の影響力がなくなることに直結するわけではない。

 田中はこの総裁声明を無視するかのように、田中派の拡大を図り、内々に「オレはもう1回総理をやるんだ。竹下(登・元首相)が総理になるのはオレが総理をやったあとだ」と言い続けた。

 そうして、田中が影響力を失うのは声明から1年余後、田中派内に竹下の勉強会「創政会」が結成され、その20日後に病に倒れた時だった。政治家の影響力は100からゼロに一気に落ちることはめったになく、徐々に落ちていく。

9月の代表選が勝負

 小沢は幹事長を辞めたことによって、幹事長時代のパワーが100とするなら60程度に落ちたと言えるだろう。小沢の力がなお残る源泉は手勢がまだ強固であることだ。

 小沢氏は4日夜、都内で開かれた自身を支持するグループの会合であいさつし、代表選で衆院環境委員長・樽床伸二が129票獲得したことについてこう語った。

「私は立場上、動けなかったが、次につながる良い数字だ。あと90(票獲得)で首相が取れた。90なんて難しい数字じゃない」

 樽床が獲得した票のすべてが小沢グループによって集められたわけではない。この票の中には、樽床が松下政経塾出身者らに働き掛けて集めた票なども含まれている。
しかし、小沢グループ内部には「こちらが独自候補を立てていれば勝てた。9月の民主党代表選でひと勝負かける」という声が強い。

「何度も失脚したかのように言われながら、復権してきたのが小沢さんだ。菅さんが油断すると危ない」

 民主党幹部はこう語る。組閣・党役員人事で、菅は「脱小沢」に成功したとはいえ、小沢が巻き返しに動くのは必至だ。菅と小沢との戦いはまだ始まったばかりだ。

(敬称略)

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