損得ではなく、信頼できる人とだけ付き合う。サマンサタバサ 寺田和正

2010年06月09日(水) 週刊現代

週刊現代社長の風景

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革ジャン販売

貫禄 留学中の一枚。当時23歳の寺田社長(右上)は、革ジャン取引の商談のためにヒゲを伸ばしたという

 カナダ留学中に、現地で仕入れた革ジャンを日本で販売するビジネスを立ち上げたところ、これが大当たり。

 そのまま生業にする道もありましたが、帰国して商社に就職しました。大当たりしたのは運がいいだけで、長く続くはずがないと思ったんです。

 結局、この商社で2年間ビジネスの基本を学んでから、'91年にサマンサタバサの前身になる会社を立ち上げました。

倒産危機

 当初は海外ブランドの輸入が中心でした。設立から5年間はトントン拍子に拡大しましたが、突然業績が急降下。中途半端な気持ちでビジネスを続けていたからです。20億円あった売り上げが5億円になり、借金も5億円近くに。それまで自分の仕事は営業で、経理や財務は社員に任せていました。

 ところが会社が傾きかけると会社から人がいなくなる。そこですべて自分の責任と考え直し、全部自分でやりました。

発想の転換

 このままでは倒産するしかないという状況に追い込まれた時に思ったのは、"嫌いな人"との仕事はやめようということでした。商売相手に裏切られ、なんてひどい奴らだと思ったこともありましたが、よく考えれば相手を見る目がなかったのは自分の責任でしかない。

 だったら損得ではなく、信頼できる人とだけビジネスをしよう、と発想を変えたのです。不思議なことにその途端、状況が一転しました。

ヒルトン姉妹

 日本の景気が停滞するなかでサマンサタバサがここまで成長できたのは、難しいマーケットに挑戦したからではないでしょうか。なにしろ百貨店でも雑誌でも、日本のブランドと海外ブランドの扱いはまったく違います。僕はそれが納得出来ないし、この状況を変えるには何が必要かを常に考えてきた。

 安易にセールをしないとか、イメージ作りに海外セレブを起用したのもそのためです。

 ただ、運がよかったのは、ニューヨークにショールームを作っていたら、当時はほとんど無名のヒルトン姉妹が遊びに来ていたこと。彼女たちに「一緒にビジネスをやらないか」と声をかけたら、彼女たちも興味があったらしく乗ってくれたのです。

 これが日本にセレブという概念を広めるきっかけになり、彼女たちとともにサマンサタバサも話題になるという相乗効果で成長することができました。

 当面はトップランナーとして、業界を変えたいというのが目標です。世界における日本ブランドの地位をもっと上げたいし、ファッション業界で働くということを若者にとって夢があるものにしたい。

 これからはアジア展開を積極的に進める予定ですが、それも売り上げのためというより、夢や勇気を与えられればいいな、と思っているからです。日本のブランドもやるな、と世界に思わせたいじゃないですか。

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