「金王朝大崩戦闘準備」その内情
軍部暴走、金正日に壊はもう止められない

 無謀ともいえる突然の攻撃は、金王朝内部の権力闘争の果てに引き起こされたものだった。46人の死者を出したこの事件は、東アジア全体を戦闘状態に陥れる引き金となるかもしれない―。

金正日が焦る理由

 すべては昨年秋から始まっていた。北朝鮮潜水艦が韓国船を爆破した「天安号事件」によって、朝鮮半島情勢はいま、朝鮮戦争以来最大級の緊張の高まりを見せている。韓国が北朝鮮に対し船舶の航行禁止命令を出せば、一方の北朝鮮は「南北のすべての関係を断絶する」と宣言。

 日本のすぐ隣の地で一触即発の危機が訪れているのだ。一体この事件はなぜ起こってしまったのか。その謎を解くためには、しばし時をさかのぼらなければならない。

 近年、北朝鮮の独裁者・金正日(キムジョンイル)総書記(68歳)の頭を悩ませているのは、「どのタイミングで息子・金正銀(ジョンウン)にその座を譲るか」という問題である。

 金総書記は、建国の父・金日成(イルソン)主席の生誕100周年であり、自らも70歳を迎える2012年を、「強盛大国(政治・経済・軍事大国)の大門を開く年」と定めている。そしてこの年に、三男の正銀(27歳)を後継者にする予定でいる。2年後に30歳となるよう、正銀の年齢を1年、詐称させ始めたほどだ。

 さらに金総書記は、正銀が後継者としてふさわしいことをアピールするために、さまざまなお膳立てを図ってきた。昨年春に始めた「農業闘争」(国を挙げての農作業)は、正銀が初めて指導した国家事業「150日闘争」(5ヵ月間で全産業の生産力をアップさせる運動)の核心だった。

 ところが、2300万の国民が食べていくためには、秋の収穫時に650万~700万tの食糧が必要であるにもかかわらず、昨年の収穫量は、わずか350万tという惨憺(さんたん)たる状況だった。

 「苦難の行軍」('95年~'98年にかけての食糧危機で、200万人が餓死した)の再来と陰口を叩かれる始末となり、「正銀の指導力」には、いきなり疑問符がついた。これでは正銀への後継はおぼつかなくなる―金総書記は、焦燥感に駆られたのだった。

 その失敗の責任は、正銀の「後見人」に及ぶことになった。

 金総書記は、昨年の年初頃、軍内部の最高機密にあたる核開発の総責任者を任せてきた金永春(ヨンチュン)(74歳)を、正銀の後見人に定めた。その見返りとして、昨年2月、自らの67歳の誕生を祝う宴席で、金永春を人民武力部長(国防相)に抜擢すると発表したのだった。

 実は、'94年に「金正日時代」を迎えて以降、「平壌の奥の院」で展開されるドラマの多くは、金永春がキーパーソンとなってきた。

 金永春は、金日成の死後、朝鮮人民軍の次帥兼総参謀長に抜擢され、"金日成派"の面々を次々に粛清し、金総書記の右腕としての地位を確立していく。'98年には日本を騒然とさせた「テポドン・ミサイル1号」発射の指揮を取り、金正日時代の到来を演出したのだった。

 その後、'06年10月に強行された核実験も、昨年の「テポドン・ミサイル2号」の発射も、同じく昨年5月の二度目の核実験も、すべて金永春が責任者を務めることとなった。

 まさに軍のタカ派のトップと言える男が、正銀の後見人となったのである。

 しかし、金永春は先述の「150日闘争」失敗の責任を問われることとなった。さらに、昨年11月10日に、南北の事実上の海の国境線であるNLL(北方限界線)付近で、南北海軍による銃撃戦が発生。北朝鮮の艦艇が大破し、死傷者を出した。

 この大敗北は、金永春国防相の立場を、さらに危うくした。実際、それまで金総書記の日々の国内視察に必ず同行していた金永春の姿は、昨年秋以降、数ヵ月間にわたって途絶えた。

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