メディア・マスコミ
イラク戦争に火をつけた「大量破壊兵器」スクープは
「御用記者」の誤報だった

映画『グリーンゾーン』のモデルになった米国政府の情報操作

 マット・デイモン主演の『グリーン・ゾーン』が日本でも公開中だ。2003年に始まったイラク戦争が舞台で、開戦の根拠になった大量破壊兵器(WMD)の行方が焦点だ。

 デイモンはアメリカ陸軍のロイ・ミラー上級准尉を演じ、WMDを発見する任務を負わされる。当コラムの趣旨に照らし合わせると、最大の見どころは、ミラー上級准尉がウォールストリート・ジャーナル紙の女性記者ローリー・デインに詰め寄るシーンだ。

「君の記事を読んだ。WMDの存在を裏付ける情報源は『マゼラン』と呼ばれているそうだな」

「情報源については何も話せない」

「マゼランがなぜ真実を話していると分かる?」

「信頼できる仲介者を使ったからよ」

「WMDが隠されているとされる場所に行ったことがあるのか?」

「・・・」

「おれは行った。そこには何もなかった。マゼランの情報はすべてガセ情報だ! 仲介者はだれだ?」

「情報源は明かせない」

「いいかげんにしろ! そもそもWMDが開戦理由なんだぞ。君は優秀な記者なのに、『WMDは存在する』なんてうそを書いてきた。なぜなのか説明してもらおう」

「いいわ。ある日、ワシントンの政府高官から電話をもらい、『WMDの存在を裏付ける情報がある』と言われた。会いに行ったら、マゼランから直接聞き出した話をまとめた報告書をくれた」

「その報告書が正しいかどうか、ウラを取ったのか?」

「何を言っているの? 彼は政府高官で、マゼランと接触できる立場にあるのよ!」

 アメリカのマスコミ業界人であれば、デイン記者のモデルがだれであるかはすぐに分かる。ピュリツァー賞を受賞したこともあるベテラン記者、ジュディス・ミラーだ。映画では経済紙ウォールストリート・ジャーナルの記者として描かれているが、実際は高級紙ニューヨーク・タイムズの記者としてイラク戦争を取材していた。

日本でも公開中の映画「グリーンゾーン」は極上のエンタテインメントだが、情報操作の内幕はリアルだ

 当局からのリークに頼った御用記者――。今ではミラーにはこんなレッテルが張られている。映画で描かれているように「WMDは存在する」と書き続け、結果的にイラク戦争を正当化するのに一役買ったからだ。社内外で批判を浴びたミラーは2005年、失意のうちに退社を強いられている。

「言論の自由」を世界で最初に憲法で明確に保障したアメリカでは、メディアには「第4の権力」としての伝統がある。攻撃的な取材に基づく調査報道が特徴であり、社説や解説、評論を中心にしたドイツやフランスのメディアよりも「権力のチェック役」としての役割が前面に出ている。

 しかし完璧ではない。イラク戦争をめぐる報道では、権力の巨大広報マシンに操られ、権力のプロパガンダの一翼を担わされしまった。日本では歴史的に権力が記者クラブを通じて大量の情報を流し、マスコミの論調を誘導してきた。記者クラブがないアメリカでも同じ構図が出現する場合がある。

 世界同時多発テロから1年後の2002年9月に時計の針を戻してみよう。

開戦を決定づけたスクープ

 ニューヨーク・タイムズのミラーは、同僚のマイケル・ゴードンと連名で、同月8日付の1面トップ記事を書いた。「フセインは原子爆弾の部品調達を急いでいる」との見出しで、こう書いている。

「複数のブッシュ政権高官によると、サダム・フセインがWMDの放棄で合意してから10年以上経過したイラクで、核兵器開発に向けた動きが活発になってきた。同国は原子爆弾製造に向け、ウラン濃縮用の遠心分離機に使われる特殊なアルミニウム製チューブを購入しようとしている。(中略)WMDの決定的証拠はきのこ雲になるかもしれない。」

 同じ日、ディック・チェイニー副大統領、コンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官、ドナルド・ラムズフェルド国防長官がそれぞれ違うテレビ番組に登場し、「サダム・フセインはWMDを保有しているのは間違いない」などと宣言した。

 チェイニー、ライス、ラムズフェルドの3人がそろって"証拠"として言及していたのが、ミラーが書いた記事だった。

 数日後、ジョージ・ブッシュ大統領が国連総会で演説し、「イラクは高強度アルミニウム製チューブを購入しようとしている。核兵器入手に躍起になっている動かぬ証拠」と断じた。

 翌年の2003年3月の開戦まで、ブッシュ政権がイラク戦争を正当化するうえで、ニューヨーク・タイムズが"特報"したアルミニウム製チューブ問題が格好の材料として使われるようになった。

 ミラーが「WMDは存在する」との記事を書いたのは、2001年から2003年にかけてだ。2003年春にはイラク駐留アメリカ軍の従軍記者になり、「開戦前夜にWMDを撤去、イラク人科学者が証言」との見出しで、「生物・化学兵器の証拠をつかんだ」と報じた。『グリーン・ゾーン』に登場するデインも従軍記者として描かれている。

 WMDは結局発見されなかった。アルミニウム製チューブも従来型ロケット砲用であるとの見方が支配的になった。ニューヨーク・タイムズは2004年五月に編集局長の見解として「2001年以降のイラク報道は問題含み」と認め、具体例として12本の記事を挙げた。このうち10本はミラーが単独か連名で書いた記事だった。

 ニューヨーク・タイムズは伝統的にリベラルな論調を持ち味にしてきた新聞だ。にもかかわらず、イラク戦争ではブッシュ政権を支えるネオコン(新保守主義者)勢力に肩入れするような報道を続ける格好になったのはなぜなのか。

 一言で言えば、戦争正当化に向けてマスコミを誘導したい政府高官のほか、フセイン政権の転覆を願っていた亡命イラク人のリークに頼り過ぎたからだ。その筆頭格がミラーだった。

「開戦前夜にWMDを撤去」の記事では、ミラーは肝心のイラク人科学者から直接話を聞かなかったし、自宅も訪ねなかった。顔を見たこともないし、実名も知らない様子だった。生物・化学兵器が隠されているとされた場所にも行っていない。すべては軍の高官から得た二次情報で記事は構成されていた。

 カギを握る人物に会ってもいないし、WMDが隠されていた場所も見ていない――。ミラーが『グリーン・ゾーン』の女性記者の実在モデルといわれるゆえんである。

 ミラーが最も頼りにしていた情報源は、イラク人亡命活動家で構成される「イラク国民会議(INC)」の代表、アハマド・チャラビだった。チャラビの狙いは、アメリカ軍の協力を得てフセイン政権を転覆させ、自ら新生イラクのリーダーになることだった。

 ところが、ミラーは記事中では情報源については「ブッシュ政権高官」や「亡命イラク人」などと書くだけだった。情報源がだれかをあいまいにしているだけでなく、どんな政治的意図を持っているかについても触れずじまいだった。

「情報源を秘匿しなければニュースは取れない」という場合は多い。安全保障問題を取材していると、国家機密の壁にぶつかるのは避けられない。この場合、情報源を守るために情報の出所を匿名にする必要が出てくる。

 とはいえ、権力側を取材しながら匿名性に頼り過ぎると、政治的に利用される可能性が高まる。権力側が「この記者はわれわれに都合のいい記事を書いてくれるから、積極的にリークしよう」

「この記者は懐疑的な記事しか書かないから、出入り禁止にしよう」

 などと考えながら、マスコミを通じて世論を操作しようとするのだ。

 後になって判明したのだが、ミラーが情報源として多用した「ブッシュ政権高官」の多くはチャラビを情報源にしていた。ミラーの情報源である「亡命イラク人」の多くもチャラビに近い人物ばかりだった。

 著名政治コラムニストのデビッド・ブローダーはワシントン・ポスト紙上でこう書いている。

「アハマド・チャラビを情報源にしてミラーは数々の"特ダネ"をモノにしてきた。彼女が情報源を秘匿し続けたことで、計り知れないほどアメリカの国益が損なわれた。どんな政治的意図を持った情報源を使っているのか記事中で明らかにしていたら、彼女の記事は1面トップを飾るほどの扱いを受けなかっただろう」

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