政権担当能力なき政権へ、
いまこそ「大連立のススメ」

ドイツ、フランスの事例に学べ  

 普天間基地移設問題は、8ヵ月の迷走の後、結局は辺野古沖という自民党政権時代の計画に戻ってしまった。「最低でも県外」と言っていた「公約」は反故にされた。大きな期待を持たされたあげく、このような結論を示された沖縄県民は、怒りに燃えている。

 沖縄の地政学的重要性を考えれば、県外移設が困難であることは初めから分かっていたはずだ。

 軍事的知識も持たず、米海兵隊の抑止力について不勉強であるならば、そもそも内閣総理大臣などになるべきではない。

 韓国の哨戒艦の沈没事件は、北朝鮮による魚雷攻撃が原因だと国際的調査団は結論づけている。このように緊迫する状況のなかで、空想的な対応は不可能なのである。

 今後は、鳩山首相に対する辞任要求が、民主党の内外からさらに強まっていくものと思われる。

 宮崎県で発生した口蹄疫感染もひどい状況になっている。感染症との戦いは時間との戦いだ。一国も早い対応が、人間や家畜の命を救うのである。しかし、鳩山政権の対応は後手後手に回っており、種牛までも処分するといった危機的な状況に立ち至っている。鳩山首相、そして赤松農水大臣の危機管理能力に問題があることは明らかだ。

 行政のトップがこのような状態だということは、国の命運にかかわる大問題である。首相も農水大臣も、この問題で直接国民に訴える姿勢もなく、農民のみならず、全国民の不安感が増大しつつある。

 国民は、昨年夏の総選挙で政権交代を実現させたものの、大きな失望を感じている。ゲームならばリセットしたいところだが、現実にはそうはいかない。

 要するに、政権を担当する能力、大臣として行政を担う能力、国民に説明する能力、危機管理を完遂する能力に欠ける政治家が統治を行っているのが、今の日本である。操縦する能力もない素人が航空機の操縦桿を握っているような状態である。

 このような状態を避けるには、必要な訓練を素人に課するしかない。大連立政権というのは、それを可能にする方法でもある。

 戦後ヨーロッパを例にとってみよう。西ドイツでは、1959年、社会民主党(SPD)はバード・ゴデースベルクで党大会を開き、教条的なマルクス主義を捨てて現実主義的な政党に脱皮した。そして、1966年には、キージンガー率いるキリスト教民主同盟(CDU)と大連立を組んだ。

 そこで、いわば政権の作法をCDUに学び、政権担当能力を身につけていった。そして1969年には、小党の自由民主党(FDP)と連立して自前のブラント政権を発足させた。現実主義に転換して10年目のことである。こうして、SPD政権はブラント後もシュミット首相の下、1982年まで続いた。

社会党ミッテラン政権はなぜ成功したのか

 フランスでは、1971年に社会党が現実主義的政策を採用し、それから10年後には、ミッテラン政権を誕生させている。フランスでは、社会党が保守党と大連立を組んだのではないが、党勢の拡大とともに、官僚機構の中に社会党の勢力をじわじわと浸透させていった。

 10年間のうちに、エリート官僚の養成機関であるENAの卒業生の半分は社会党系となっていっていた。政権交代となっても、社会党政権を支える官僚、頭脳がきちんと仕事をしたのである。このことも、社会党が政権担当能力を高めるのに貢献したと言えよう。

 現在の民主党政権は、多くの閣僚に政権担当能力も無ければ、役人を活用するノウハウも無い。そこで、霞ヶ関も面従腹背となり、日本が沈没しかけている。

 福田内閣のときに試みた大連立政権構想が実現していれば、今日の状況は回避できていたかもしれない。あの当時の大連立政権構想は、衆参両院のねじれ現象への対応という発想しかなかったと思うが、大連立には、野党の訓練という意味もある。

 また、民主党系の役人を増やすと言っても、鳩山政権のこの体たらくでは、まともな官僚は民主党になびくはずはない。しかし、自民党の統治モデルはすでに歴史的役割を終えている。

 ではどうすればよいのか。来るべき参議院選挙で、わが「新党改革」もできるだけ議席を得て、選挙後に良質の政治家からなる政権を誕生させるような政界再編に努力するしかあるまい。

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