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内田樹「器に合わせすぎては、学びは起動しないのです」
神戸女学院大学教授 内田樹
合気道六段の内田樹さんは35歳、三段の時に自分の道場を開いた。爾来23年間武道を教え、教師としても31年のキャリアを持っている。「教え」のエキスパートが辿り着いた「教えること」の極意とは。

━━━ 内田さんは大学の教壇に立つ傍ら、30年以上にわたって武道の修行を積み、長年自分の道場でも若い人たちに合気道の術理を教えてきました。その経験から得た「教えること」の本質についてお聞きしたいと思います。まず、なぜ女子大で合気道部を作ろうと思われたんですか。

〔PHOTO〕中村將一(以下同)

内田 それまで15年間、僕は東京の合気道多田塾自由が丘道場で多田宏先生について稽古をしてきました。神戸女学院への転任に伴い神戸に来ることになったので、「道場を離れてどうやって稽古を続けていけば良いでしょうか」と先生にお聞きしたら、「内田君が自分で道場をやりなさい」と言われた。それで合気道部を作ったんです。

 自分の道場自体は、その3年くらい前から東京で持っていました。当時の自由が丘道場が使っていた場所が貸しビルになることになり、一時的に稽古場所がなくなってしまった。そこで僕や他の何人か有段者たちが責任者になって、それぞれ場所を借りて、担当の曜日を決めて指導することにしたんです。

 そのとき僕は35歳くらい、三段をとったばかりで、道場は瀬田にありました。毎週木曜日の夜、大学の仕事を6時に終えると、バイクでうちに戻り道着を持って、道場に向かう。管理人さんから鍵をもらい体育館を開けて、倉庫から畳を運び出して、みんなが来るのを待つ。そういう稽古を3年ほど続けました。最初のうちはけっこう同門の諸君が励ましに来てくれたんですけれど、駅から遠かったし、準備が面倒だったりで、だんだん人が少なくなっていき、ついに地元で入門した数名しか来なくなってしまった。そのときの経験が、たぶん、僕の教員としての原点じゃないかと思います。

 たまたま台風が来た日が稽古日で、雨の中バイクで大学から帰って、そのまま体育館まで走って行きました。空は真っ暗で風も強い。でも、中止の連絡はしていないから、誰か来るかもしれない。体育館を開け、一人で18枚の畳を敷いて、来るのを待っていました。でも、開始時間になっても誰も来ない。まあ、来ませんよね。外ではゴウゴウ風が吹いている中、寒い体育館の真ん中でじっと一人きりで待っている(笑)。小一時間、ぽつんと座っていたかな。そのうち「オレはここで何をやっているんだろう?」と思い始めた。誰も僕に「習いたい」と言ってるわけじゃないのに、自分から「教えてあげるよ」と言って、体育館を借りて、仕事の後、ずぶ濡れになって駆けつけて、一人で畳敷いて待っている。でも、誰も習いに来ない。そのとき、「オレはバカじゃないか」と一人で畳に座って考えました。何でこんな苦労を進んでしなきゃならないんだ、と。別にうちでゆっくり風呂に入って、酒飲みながらマンガでも読んでいてもよかったのに。何の得もないことをやってる。そう一瞬思った。

━━━ そう思うのがふつうでしょうね。

内田 でもそのとき、体育館の鉄の扉がそおっと開いて、入ったばかりの近所の中学生が顔を覗かせた。「あ、先生、来てたんだ」って。「台風だからまさか稽古はないと思ったんだけど、ちょっと見に来たの」っていうから、僕は「もちろん稽古はやるよ」と言って、彼と二人きりで一時間くらい稽古をしました。

 このときに僕の中で何かがはじけたんだと思う。教えるということの意味がちょっとわかった気がした。その中学生と差し向かいで稽古しながら、「教えるというのは、なるほどずいぶんと『おせっかい』なことなんだ」というのが腑に落ちた。