Winnyを潰した日本と
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メディアジャーナリスト津田大介インタビュー vol.1

田原 いきなりお伺いしたいんですが、この世界に入ったのはどういうきっかけだったんですか?

津田 僕はもともと出版社希望だったんです。高校生の時に、『別冊宝島』などを見ていてルポライターを志望するようになりました。

 でもその後、大学では怠惰な生活を5年間くらい過ごしてしまった。それで、いきなりフリーでルポライターになるのは厳しいだろうと、出版社に入って3年くらい経験積んでやめようかなと思ったんですよね。

 それで出版社を受けたんですけど、全部落ちてしまって、どうしようかなと・・・。

田原 出版社はね、(採用の)人数が少ないんですよね。僕も出版社全部落ちてます。

津田 そうなんですか! 僕は、とにかくなんでもいいので、とりあえず出版業界に入っろうと思った。まずは実用的なものから書いていって、自分が書きたいものは後々やれればいいかなという感じでやってたんですよ。それで、小さな編集プロダクションに入った。

田原 なるほど。

津田大介がインターネットにはまった理由

津田 その前の大学時代から、僕はインターネットが大好きだったんです。93年に大学に入学したのですが、94年~95年にインターネットの最初の波が来たんですよ。堀江さん(堀江貴文氏)らが僕の一つ上なんで、世代的に一番最初のインターネットの波を僕も近くで見ていたんですよね。

田原 インターネットに惹かれたのは、なぜですか?

津田 僕自身は、出版やライターに興味があったんですが、インターネットが、どんどん出版の仕組みも変えるし、インターネットを使えば自分で情報を発信してメディアを作れるということもありました。

 他にも、有名人がホームページを作ったときに、直接電子メールで連絡を取ることができるなど、フラットかつオープンに情報を共有できる。これまでのビジネスとは違う情報流通の仕組みができることで、社会が変わっていくんじゃないかというダイナミズムを感じて、大学時代はずっとインターネットを触っていたんですよね。

田原 僕はまず、メールっていうのは画期的だと思ったんです。たとえば有名人、あるいは作家にいきなり電話をかけるのは難しいですよね。「何だ!」って切られちゃう。メールならできますよね。

 それに、メールなら先方も多くの場合が返してくれますよね。電話は何かしている時に割り込むわけだから邪魔になるけど、メールは邪魔になりません。僕はメールができてこれは新しい文化になるなと思った。

津田 そうですね。僕の場合は、インターネットの面白さというものと出版界への憧れの両方があったので、まず自分が好きなパソコンやインターネットのジャンルの物書きになろうと考えたんです。最初はIT、インターネットとかパソコンなど、実用系の雑誌のライターをやっていました。

田原 これは一応、カネになるわけね?

津田 そうですね。大学を卒業して、2~3年くらいは、ずっと小さな編プロで働いていた。その後独立して、3~4人くらいの小さな所帯の編集プロダクションを作り、ライターの仕事を始めていったんです。

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