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父の「前妻」に会いに行ったぼくを、待ち受けていた現実

現役証券マン・家族をさがす旅【24】
町田 哲也 プロフィール

あの人も、家族をさがしていた…

ぼくは正座すると、ここに来るにいたった経緯を話した。父が倒れ、もう一つの家族の存在を知らされたこと。父の人生をたどるなかで、どうしても栄子さんと健太郎さんの存在が避けて通れないこと。

本当の父の姿をさがすことが、ぼく自身のルーツをたどる旅でもあった。

「実は、私もずっと気になってたんです」

女性がはじめて、自分の気持ちを話してくれた。

「健ちゃんは、私にとっても子どものような存在でしたからね」

「一緒に住んでいらっしゃったんですか?」

「そうです。まさにこの家で、家族のように暮らしてましたよ」

過去を思い出すように、表情を崩したのがわかった。

 

女性は栄子さんの義理の妹で、下田伸江といった。昭和20年生まれで、都内から弟の徹さんに嫁いできた。今でこそ近所に家がいくつか建ったが、昔は畑しかなく、はじめてこの地に来たときにはあまりにも田舎で驚いたという。

伸江さんが23歳で結婚してこの家に来たとき、下田家は両親、栄子さん、健太郎さん、栄子さんの弟、伸江さんの6人暮らしだった。すでに健太郎さんは2歳になり、栄子さんは働きに出ていたという。

伸江さんが26歳のときに双子の男の子が産まれ、8人家族のにぎやかな家になる。伸江さんが3人の子どもを育てているような感覚だった。

健太郎さんが引っ越してきたとき、伸江さん夫婦や祖父母は、一家ではじめての子どもがかわいくて仕方なかったという。しかし健太郎さんが成長するにつれ、父がいないことに不満を募らせるようになる。

父と会う話が出たときは、健太郎さんは会いたがったが栄子さんの反対で実現しなかった。栄子さんにとっては、消し去りたい昔の記憶に過ぎないのだろう。事情を理解する年頃になった健太郎さんは、栄子さんを苦しめたくないと我慢するようになっていた。

栄子さんは背がすらっと高く、結婚前は都内で理容師をしていた。おそらくそこで父と出会ったのだろう。神経質な性格で、気が強い女性だったという。

健太郎さんを伸江さんに預けて働いていたが、昭和51年、34歳のときに再婚して家を出る。健太郎さんが小学五年生のときだ。横浜に引っ越し、その後新しい夫との間に男の子が生まれた。

新しい家庭では、平穏な生活が待っていたようだ。父という存在とはじめて接し、兄弟もできた。しかし家族が増えていく一方で、疎外感は消えなかった。今まで見たことのない母親の幸せな表情を見るたびに、母親を取られたという思いが強くなっていく。

高校を卒業してすぐに横浜の家を出ると、以来ほとんど栄子さんと連絡を取らなくなったという。健太郎さんも、自分の家族をさがしていた。

(第1回はこちら:「危篤の父が証券マンのぼくに隠していた『もうひとつの家族と人生』」)

(7月19日公開の第25回につづく)