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日本人はなぜ「醜くても勝つ」より「美しく負ける」を好むのか

日本人の脳に迫る⑤

称賛された侍ジャパンの「美しい」エピソード

サッカーのW杯ロシア大会決勝トーナメントでベルギーに敗れ、史上初の8強進出をのがしてしまった日本。結果をどう見るかは意見が分かれるところでしょうが、概ねサムライジャパンの健闘を称え、各選手がプレイ中に見せた輝きに焦点を当てた好意的な報道が多かったように思います。

また、日本チームが使用したロッカールームが選手たち自身の手で試合後きれいに清掃され、ロシア語で感謝のメッセージが残されていたこと、加えて、日本チームのサポーターがごみを残さずきれいに会場を後にするという、よく統制された行動をとったことなどにも注目が集まりました。

こうした側面に着目した記事が多くの人の心をとらえる、という現象は非常に興味深いものです。多くのメディアもこのような書き方を好む大衆の性質を知悉していて、「美しい」エピソードをこぞって探しているようにも見えました。

特にテレビ番組のワイドショーは比較的高めの年齢層が主たる顧客でもあるためか、より一層そうした傾向が強かったようにも感じられました。

決勝トーナメントで日本チームの敗退が確定した時、グループリーグの戦いを終えて16強入りが決まった時以上の賛辞がここぞとばかりに寄せられたことは、注目すべき点のひとつです。

美しいエピソードを報じるニュースが支持を得ていることと考え合わせると、勝敗そのものよりも美しく振る舞うことのほうがずっと大事だ、と多くの人が無意識のうちに感じていたことになります。

ワールドカップ関連のニュース記事やSNSにおける反応は、海外のものも含め、総じて「“汚く”勝ち上がるよりも“美しく”負けるほうに価値がある」というコンセンサスを、人々がごく自然に持ち合わせていることを示すものでした。

無論、こうした暗黙の了解に対して異を唱えるコメントもありましたし、私自身、戦略はどうあれ勝利は勝利であり、ルールに則った勝ち上がり方であるならば基準のよくわからない「美しさ」に反するからといって批判するには当たらない、という考えをテレビ番組などでは表明していたのですが、やはりメインストリームにはこのような“美学”が厳然と存在することをあらためて強く感じさせられる出来事でした。

“汚く”勝ち上がるよりも“美しく”負けるほうに価値がある」というメッセージは、一見すばらしいように見える一方、非常に危険なものです。後に詳述しますが、顔の見えない人々の巨大な集合体からこうしたメッセージが暗黙裡に発せられ、それを変えることは難しい、という点がその危険性をより大きくしていると言えます。

 

人気を集める歴史上の人物の共通項

なりふり構わず勝ちを確実に取りに行くことは、なぜ「汚い」と言われるのでしょうか。対照的に、勝ち負け以外の何かを大切にしようとする行為は、なぜ「美しい」と讃えられるのでしょうか。

もう少し例を挙げてみましょう。歴史上の人物で人気があり、くり返しくり返し物語として語り継がれて行くのは、多くは悲劇的に人生を終えた人たちです。

典型的な例としては、例えば戦国時代ならば大坂夏の陣で敗れた真田幸村(信繁)、幕末なら会津の白虎隊、江戸時代ならば仇討ちを果たして切腹となった赤穂浪士たち、時代をさかのぼればそれこそ「判官贔屓」の語源ともなった源義経が想起されるでしょう。

歴史好きでよく勉強している人であれば、このカウンターパートに当たる人物にもそれぞれに人生のドラマがあり、そちらのほうに意外性があってむしろ惹かれるという場合も少なくないでしょうが、ごく一般的な傾向としてはやはりわかりやすい悲劇性を持った人物が人気を集めるようです。

人間のそういった部分に美しさを感じ、肩入れしてしまうという傾向を、私たち人間自身が備えていることの証左と言えるでしょう。

本邦に限らなければ、たとえば三国志であればやはり志半ばで病に斃れた諸葛孔明の人気が日本では高く、圧倒的な強者である曹操が好きだという人はなぜか少数派です。中華文化圏では関羽が絶大な人気を集め、関帝廟という形で祀られたりもしています。やはり非凡な力を持ちながら見果てぬ夢に散る、という姿が多くの人の心をとらえるのかもしれません。