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格差社会でいるくらいなら、日本は「階級社会」を目指した方がいい

競争を「煽られない」社会へ
河野 真太郎 プロフィール

是枝作品に見る「階級としての家族」

冒頭で私は、『万引き家族』は家族の物語ではないと述べた。その真の意味が、いまや明らかにできる。

『万引き家族』だけではなく、是枝監督が家族を描くとき、そこで描かれているのは家族ではなく、階級なのではないか。しかもそれは、格差としての階級ではなく、ここまで述べた、意識的に参加され、組みかえられていくものとしての階級だ。

『万引き家族』の家族──無戸籍児童、日雇い労働者、失業者、DV被害者、セックスワーカー、財産なき年金生活者の構成する「家族」──は「無縁な者たちの共同体」である。彼らを結びつけるものは、彼らが「無縁」の存在であること、格差社会の外へと放り出された存在であることそのものなのだ。

 

彼らが家族を作ることとは、これまでは「階級」として目に見えなかった(invisible)ものを、新たな結びつきによって目に見えるようにすることである。

ただし、その「新たな結びつき」の中には、「格差社会」に苦しむ中流も含まれる。

そのことは、是枝監督のもうひとつの名作『そして父になる』においてより明白である。この作品は、新生児の取り替え事件を題材にしつつ、実質的には、東京で大手建設会社に勤める父の中流家庭と、群馬で小さな町電気屋を営む貧しい家庭との対決と和解を描く。

この作品では、本稿で述べてきた意味での「格差社会」で戦う中流の家庭と、その外側にいる家庭とのあいだに、奇跡的な共同体が生まれる様子が描かれる。

その共同体は、映画のラストで二つの家族がひとつの家の中に入っていくことで示されるのだが、それはさらに感動的な形で、二つの家族の母の抱擁によって表現されている。尾野真千子演じる野々宮みどりは、福山雅治演じる野々宮良多が、家庭を顧みない仕事人間であるために、大きな苦しみを経験する。真木よう子演じる、電気屋の妻斎木ゆかりは、その苦しみを抱擁する。

この女たちの結びつきが表現するのは、単なる「格差社会」の外側の人びとの連帯ではない。それは、競争社会としての格差社会に苦しむ中流と、その外側にいる人びととのあいだの共同体の生成を描いている。そこでは、競争に苦しむ中流に救いの瞬間が訪れている。

この映画は、新たな階級の組みかえの可能性を知ることで、「格差社会」の檻から救い出される中流の物語と言ってもいいだろう。

翻って『万引き家族』であるが、じつはこの映画も中流の問題が描きこまれている。それは、樹木希林演じる柴田初枝の元夫の息子家族であり、この中流家族と、「万引き家族」の中で妹役をする柴田亜紀との関係である。詳細については映画を観ていただくしかないが、そこにも、「格差社会」ですり切れていく中流と、「格差社会」から放り出された無縁の者たちとのあいだでの、「階級社会」の生成が見て取れるのだ。

格差社会を超えて、「階級社会」を目指すこと、自分たちの属する共同体としての階級を新たに組み直すこと。現在軋みを立てている私たちの社会を「直す」ためには、それが必要である。