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結局、大学ブランド戦争の激化が「日大の悲劇」をもたらした

「悪質タックル問題」が問いかけるもの

関西学院大学と日本大学のアメリカン・フットボールの試合で生じた、いわゆる「悪質タックル」問題は、狭義のスポーツという枠組みをこえ、広汎な社会的関心をよんでいる。

学生スポーツを抱える関西私学の一教員としても、日本の私立大学、ひいては大学全体の教育やガバナンスを考える上で看過できない問題としてうけとめている。

あれから2ヵ月が経つ。いまだ語られない論点からこの問題を考えてみたい。

 

「メディア・イベント」と化した学生スポーツ

今回の件が投げかける社会的問題は多様である。

まず、学生スポーツとはそもそも何のためにあるのかという、本来の原点に返っての議論が必要である。

大学のスポーツ活動がプロ・スポーツと一線を画すのは、勝利至上主義ではなく、心身の鍛錬、知・徳・体の備わった文武両道の社会人を養成するという点にあろう。

ところが、近年著しいのは、この原点を見失った勝利至上主義、なりふりかまわなくていいから、"勝ってなんぼ"という発想である。その背景には、大学間競争の激化がある。

大学全入時代といわれ、少子化時代にいかに安定的に学生を獲得するかは、全国の大学の課題となってきた。

ブランド・イメージという表現は、かつてはファッションや車などの消費財について使われていたが、いまや、大学という教育機関においてもブランド・イメージを強固なものとし、いかによい学生を集めるかが死活問題としてとらえられている。

そんな時代に、「スポーツの日大」が試合に負けることは許されず、全国の若者に向けて魅力ある私学であることをアピールするためには、関西のブランド大学に負けるわけにはいかない、何としても勝たねば、という思いが背後にあったと思われる。

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箱根駅伝の常勝校となった青山学院大学のように、スポーツでブランド・イメージをあげた成功例もあり、箱根駅伝自体、大学スポーツという枠組みをこえて、新年の国民的な「メディア・イベント」と化している。

駅伝も、かつては純粋に脚の速さを競うものだったはずだが、東京のキー局が勢力を傾けて放送することにより、いまや予選までがニュース・バリューを認められる全国区のスポーツ・イベントとなり、アナウンサーにとっての憧れの仕事とも言われるまで、メディア業界でも存在感をまして今日に至っている。

スポンサー企業とともにドル箱スポーツ・イベントといってもよい商業効果が期待される箱根駅伝は、同時に、新年に自校ののぼりをたてて全国放送してもらえる、大学の認知度をあげる絶好のPRイベントとも化している。

こうした成功例をみても、私立大学にとってスポーツチームの強化は大学のポジティブな社会的イメージの構築という意味で、経営戦略にとっても不可欠な要素と化しており、実質プロというべき若者を、奨学金等で海外から獲得する傾向は、アメリカン・フットボールに類似したコンタクト・スポーツであるラグビーでも指摘される。

学生スポーツにおけるアマチュアリズムの精神が希薄化し、勝利によるメディア露出がもたらす"宣伝効果"が期待されるのは、ひとり日本大学のみならず、日本の私立大学全体が直面している問題なのである。

かつて平尾誠二選手を擁した同志社ラグビーが、いまや勝ちあぐねているのは、学業優先、"文武両道"を堅持しようとする学生スポーツが、勝利至上主義においてはどうしても不利になってしまう現状の明らかな反映である。