D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?〔PHOTO〕gettyimages
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ゴーギャンは本当に「文明を逃れて南太平洋を目指した」のか

「宝探し」をめぐる考察 第5回
米コロンビア大学を卒業後、ゴールドマン・サックス証券、国外ヘッジファンドを経て、現在、株式会社CTBの代表を務める筆者が、社会のアクティビティにひそむ「宝探し的虚構」を解き明かす連続シリーズ。第5回目は、100年以上に渡って語り継がれる画家ポール・ゴーギャンの旅路に纏わる物語――。

⇒第1回【社会にはびこる「遊戯の構造」を検証すべき時がきた
⇒第2回【金融業界人の正気を保つ「利益確定」なるマジックワード
⇒第3回【美術作品から「作者」と「額縁」を取り除いたあとに残るもの
⇒第4回【ロッドマンが殿堂入りの舞台で演じた「壮観たる大失敗」について

今という時間と、ここという場所に留まるのを嫌う主人公が、いつか別の時間、どこか別の場所を目指して旅に出る、そういった、宝探しという古典的な物語について、四回に渡り検証してきた。

自分は少しも特別ではなく、凡庸な存在に過ぎなかったらどうしよう? そう怯える臆病な自意識が、安心して主人公を演じられる媒体として捏造する、宝探しの物語。その粗筋は、つねに程よく刺激的でありながら、主人公を脅かす絶望的な展開を決まって免れるだろう。

まるで遊園地のジェットコースターのように、一定のスリルを精緻に擬態しつつ、あくまで予定調和的な運動を反復し、最後は身の安全を保障する大掛かりな装置。かくして機能する宝探しは、決められた粗筋を逸脱しない退屈な遊戯だが、こうした物語が、さも刺激的であるかのように、至る所で繰り返されている。

だが宝探しの遊戯は、退屈ゆえに無害というわけではない。むしろ、臆病な自意識が捏造する物語は、ひとたび旅人の主人公性が脅かされると、躊躇なく凶暴な牙を剥く。物語のこうした暴力性に、目を向ける時が来ている。

 

100年以上を経て今なお

宝探しの物語は至る所で繰り返されるが、その一つ、画家ポール・ゴーギャン(1848年~1903年)と、ヨーロッパからポリネシアに至る彼の旅路に纏わる物語は、完結から100年以上経った今なお、執拗に語り継がれている。

Paul Gauguin〔PHOTO〕gettyimages

誰に頼まれるでもなく、一人の中年男性が19世紀末に実行した旅は、例えば2010年、大手美術館のプレスリリースでこう評されている。

「ゴーギャンは、ヨーロッパの文明を逃れて南太平洋を目指した。タヒチの熱帯に住み着く動植物と、島の日常生活にインスピレーションを得た画家は、消えつつあった土着文化に身を委ね、作品により深い意味、儀式、そして神話を付加した」

同様に、2014年に別の美術館が発行したプレスリリースによれば、ゴーギャンのタヒチ行きは、「ヨーロッパ的な習律と制約によって汚される以前の文明の追及」に他ならず、画家の技法は、「南太平洋における生活の、色濃く神秘的で、夢のような心象を投影する」ものだと説明されている。

これらの言葉は、100年以上前に生産され、以後滑らかに流通するゴーギャンの物語と齟齬なく同調し、これを補強する。

すなわち、「西洋的」「近代的」「資本主義的」なものを否定したフランス人男性が、ポリネシアに移住し、そこで「原始的」「根源的」「神秘的」なものと遭遇し、これと同化し得たという宝探しの物語。ヨーロッパという中心からポリネシアという周縁への地理的移動として、また、近代から原始への時間的回帰として、かかる物語は語り継がれているのだ。

確かに、時に「Primitivism(原始主義)」の一語で分類されるゴーギャンの作品は、単にポリネシアの人物や風景を描写するに留まらず、画家が彼の地で発見した、なにやら根源的な価値、あるいは本質的な意味といったものを示唆するような、思わせぶりな表情を纏っている。

観る者の異国趣味を満足させる配色で、宗教や民話に由来する雑多な記号が配置された、象徴主義的作品の数々。それらは、異国の地で宝物を発見した画家が、これを「より深い意味、儀式、そして神話」として、キャンバスの表層ではなく、その奥深くに隠したかのような印象を与えるのだ。

かくしてゴーギャンのタヒチ時代の作品は、そこに隠された意味と、これを探し求める鑑賞者の間に、一定の距離を作り出す。この隔たりは、作品の意味を直ちには理解し得ない鑑賞者の不能感を煽る一方で、かかる意味についてもっともらしい解説を述べる、専門家の饒舌を促す。

作家という特権的な存在を中心に据えた、一種の会員制クラブのように、入会を拒まれた非会員の苛立ちを代償として、会員たちが作家との同盟関係を盛んに主張することで、ゴーギャンの物語は維持されるだろう。

だが、いったいどれほど深い意味が、ゴーギャンのキャンバスに隠されているというのか? 画家は、本当にポリネシアで宝物を発見したのだろうか?