小笠原に自生するグリーンぺぺ(ヤコウタケ)。クレジットのない写真は全て筆者撮影
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小笠原返還50年「かつての自然を取り戻す」プロジェクトへの違和感

人の手で自然を変えることは可能か?

「固有種を放す」は正しいのか?

今日6月26日は、小笠原諸島が日本に復帰して、50年目の記念日に当たります。

東京都区内から1000kmあまり、はるか南に浮かぶ「トロピカル・アイランド」。でも行政上はなぜか東京都。 絶海の孤島でありながら、身近に感じてしまう東京都民も多いのではないでしょうか?

小笠原は単に「亜熱帯の島」というだけではなく、多くの固有種から成り立つ独自の自然を形成しています。この稀有な自然を未来に引き継ぐことは、東京都民の義務でもあるのです。

しかし残念なことに、日本復帰から50年の間に、状況は様変わりしてしまいました。帰化生物の大量侵入と、(固有種を含む)在来生物の急激な衰退。このままでは、他のどこにも存在しない小笠原独自の自然は、地球上から消滅してしまいかねません。

そこで、様々な動きが、国や都、公共機関やメディアにおいて進められつつあります。例えば、帰化生物の駆除。あるいは、固有種を飼育繁殖し野に戻す、といった試み。

しかし、筆者にはそれが最善の方法であるとは思えません。違和感を禁じ得ないのです。今回はその理由をお話ししましょう。

 

2種の小さなチョウ

太洋中に孤立した小さな島々である小笠原には、2種の固有種のチョウが棲息しています。シジミチョウ科のオガサワラシジミと、セセリチョウ科のオガサワラセセリ。筆者は、この2種の実態を調べるため、返還後8年目の1976年から、10数年間にわたり小笠原に通い続けていました。

沖縄本島とほぼ同緯度の小笠原は、気候的には亜熱帯の真っただ中。普通に考えれば、いわゆる南方系の生物たちが生物相の主体を成すはずです。

でも、この2種はそうではありません。日本の本土、東京の都心でさえ普通に見ることができるものを含む、必ずしも「南方系」とは言えない広域に分布する種(またはその共通祖先種)が、島に隔離され、特化したものなのです。

日本本土に住む、オガサワラセセリに対応する種がイチモンジセセリです。この蝶は東亜半月弧と呼ばれる、日本-台湾-中国南部-インドシナ半島北部-ヒマラヤ山麓にかけての照葉樹林帯周辺に棲息しています。

母島で撮影したオガサワラセセリ
中国・広西壮族自治区猫児山で撮影したイチモンジセセリ

本来は森林内のギャップや林縁に生じた草地に暮らしていましたが、人類が現れて稲作を始めるようになると、そのシステムがこの蝶の生活様式にピタリとはまったのでしょう、幼虫がイネの葉に全依存して育つようになり、現在では日本で最もありふれた野生生物のひとつとなっています。

ちょうど小笠原が日本に復帰して間もない頃、筆者が取り組んでいたテーマが「水田耕作の発展に伴うイチモンジセセリの生態的変遷」というものでした。

イチモンジセセリは、生活史のサイクルを稲の生長に合わせるため、著しくアンバランスな周年経過(秋口に大発生する)をとり、その過程で集団移動を行います。しかし非常に地味な蝶なので、その後さらなる研究・調査は行われず、その実態は(似た生活様式をもつ派手な外観のアサギマダラが世間の注目を浴びているのとは対照的に)おそらくいまだに解明されていないのではないでしょうか。

アカデミズムに属していない筆者は、当時は東京大学農学部に「モグリ」の学生として顔を出し、東大の千葉房総半島演習林を拠点として、開けた水田と、照葉樹林内の小さな草地に棲むイチモンジセセリの生態比較に勤しんでいました。

しかし、すでにイチモンジセセリは種そのものが生活を水田に全面依存しているため、かつてどのような生活をしていたのか、痕跡を見つけだすことは容易ではありませんでした。

そこで筆者は、数少ない同属種の一つで、最も有効な分類指標となる「雄の交尾器」の形状が酷似している、オガサワラセセリの存在に注目しました。この蝶は永い間小笠原に閉じ込められ、人類の稲作文化と切り離されてきましたから、古い生活様式を保ったまま今に至っているはずです。

つまり、オガサワラセセリの生活様式を知ることは、イチモンジセセリのアイデンティティの探求に繋がるのです。