Photo by iStock

「近代民主主義」はいつ始まり、どこに着地しようとしているのか

そこから見えてくる今日的危機とは

建築と組織の意外な共通点

一見無縁に見える現象のなかに、思わぬ共通点が潜んでいることがある。

例えば、伝統的な日本建築と日本の家組織の間には境界のあり方に関して、ある共通点が見られる。

日本建築では、家屋や部屋が障子やふすまのような薄い壁や扉で仕切られている。縁側や借景庭園のようにウチでもソトでもあるような中間的な部分もあり、ウチとソトは連続的につながっている。

Photo by iStock

一方、日本の伝統的な家組織では、家長と家成員の関係が「タテ型(ヨコ型)」なら、本家と分家の関係も「タテ型(ヨコ型)」になる傾向がある。タテ型とヨコ型のいずれであれ、家のウチとソトは同質的で連続的になっている。

つまり、建築も家組織も、ウチとソトは稀薄な境界で仕切られているのだ。

 

異なる視点から異なる対象を見ていても、そこに意外な共通点が現れてくるのは、対象自体のなかに内在的な連関があるからだろう。考えてみれば、建築は物理的な存在であるとともに、情報の流れや人間関係を規制する社会的な要因でもある。

こうした例は、ほかにもある。今から150年くらい前のこと、機能分化に関して、ある着想が浮かんできた。近代社会では、政治・経済・法・宗教といった社会的機能が分化し、それぞれが自律的なシステムを形成している。

この機能分化の構造が変容してきているのではないか──そう思ったのである。以来、機能分化の変容をテーマにした論文や本を書いてきた。

だが、納得のいく答えは容易に見つからなかった。それどころか、研究を進めるうちに、この問題の難しさがわかってきた。一体どのようなシステム間の関係をもって、機能分化の変容が起こっているといえるのだろうか。

暗中模索は続き…

機能分化が確立された段階でもシステム同士は無関係になったわけではない。もしシステム間の関係が変化しているなら、機能分化の変容は、未分化の状態に戻る脱分化やシステム間の相互依存が深まる機能分化の深化とどう違うのか。

要するに、何をどう論じたら機能分化の変容を説明したことになるのかがはっきりしないのだ。

暗中模索するうちに、いっそ発想を切り替えて、機能分化の変容を説明する前に機能分化の成立を説明してはどうか、と考えた。