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よいお金儲けの条件とは?~日大アメフト問題と経済思想史

~『はじめての経済思想史』から~

日大アメフト問題は他人事ではない

組織のなかでのみ生きる人は、「人間」ではなくなる。社会の人びとと向き合う心を失ってしまうのである。日大アメフトの危険タックル事件における内田監督の発言は、まざまざとそれを見せつけた。

事件は今年5月6日に行われた日本大学と関西学院大学のアメフト定期戦でのことである。日大の選手がラフプレーで関学大のクオーターバック(QB)を負傷させた。

背後には「相手のQBを1プレー目で潰せば(試合に)出してやる」という内田監督からの指示があった。にもかかわらず、事件後に開かれた記者会見において監督は、「潰せ」というのは強いタックルで当たれという意味であり、怪我をさせろという意味ではないと主張した。

幼稚な言い逃れとしか思えない。相手QBを含め、社会の人びとは「なぜ?」と問いかけたのだが、それに向き合う心を監督は持っていなかった。

 

一方で、ラフプレーの当事者である日大の宮川選手は、記者会見を開き、真摯な反省の言葉を述べた。

相手QBとも、社会の人びととも向き合った「人間」がそこにいた。彼は、なぜあのラフプレーに及んだのかを語った。彼を追い詰めた監督やコーチの言葉は、おぞましいとしか言い様がないものであった。

監督の発言に強い憤りを感じたのは、私だけではないだろう。しかし、彼は特異な、例外的な存在というわけではない。

組織に生きる人が社会と向き合う心を失っている例は、日常にあふれている。ノルマに追われて「何でもいいから売ってこい」と部下に命ずる営業課長。法的責任を回避するために作られたマニュアルに従って応接する窓口の係員。

彼らの目に、人間としてのお客さんは見えていない。彼らは、社会に向き合う心を失っているのである。

アダム・スミスの言いたかったこと

かつて、社会に向き合う人間の心と経済活動(お金儲け)を結びつけて考えた一人の学者がいた。経済学の父、アダム・スミス(1723-90)である。

スミスは、「見えざる手」という言葉が有名なように、自由市場経済における各自のお金儲けを肯定した。それぞれの人が自分のお金儲けを追求すると、「見えざる手」に導かれて、結果として社会全体を豊かにするというわけだ。

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だが、スミスは、社会のことを無視し、自分の利益しか考えないようなわがまま勝手な利己心を肯定したわけではない。フェア・プレイの精神を持って追求するお金儲けでなければ、認められないのである。

お客さんを騙して質の悪いものを売ったり、立場を利用して買い叩いたり、仲間と結託して価格をつり上げたりしてはいけない。ライバルよりもより質の高いものを、よりリーズナブルに提供する競争を通じて、よりお客さんに喜んでもらえるように努力してこそのお金儲けなのである。