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もし小泉純一郎が「総裁3選」されていたら、ネット右翼は生まれたか

ネット右翼十五年史(6)

日本における「ネット右翼」隆盛の流れに決定的な影響を及ぼした、小泉純一郎政権。保守派が熱狂的に小泉を支持した最大の要因は、北朝鮮による拉致問題でも、構造改革路線でもなく、「靖国神社に毎年参拝したこと」にあったーー。

文筆家・古谷経衡氏が、現代日本の言論を語る上で避けて通れない「ネット右翼」の源流と内面を解き明かす、「ネット右翼十五年史」。自民党に底流する派閥力学と世論の関係を踏まえた前回に続いて、いよいよ歴史はゼロ年代後半へと突入する。

歴史的「電撃参拝」の日

小泉内閣で自民党幹事長を務めた、小泉の盟友・山崎拓の著書『YKK秘録』(講談社、2016年)によれば、

〈(2001年7月)与党三党(注・当時は自民、公明、自由)幹事長が陳健中国大使と会談した。陳健大使は間もなく武大偉氏と交代されるとのことで、帰国挨拶を兼ねて心配事の相談があるとのことだった。

”心配事”とは、小泉首相が自民党総裁選挙の際に討論会において『総理に就任したら、8月15日の戦没者慰霊祭の日に、いかなる批判があろうとも靖国神社を必ず参拝する』と明言したことだった〉

とある。その上で中国側は、交代した武大使を通じて、靖国参拝について小泉政権に次のような注文を突きつけたという。

一、8月15日を外すこと  

二、公式でなく私的参拝であること  

三、「小泉談話」を出すこと(村山談話以下の内容ではだめ)  

四、中国に特使を派遣し、A級戦犯を参拝に行ったわけではなく、日中友好関係を損なうものではないことを明確にすること

これを知った上で、小泉は2001年8月13日16時30分に電撃的に靖国神社を参拝した。

中国に配慮して8月15日から2日間前倒しはしたが、記帳には「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記名し、中国の注文を無視した。そうした意味でも、歴史的な靖国公式参拝であった。

このときの小泉電撃参拝の模様を筆者は今でも覚えている。私は当時大学1年生であったが、報道各社も何の予告も無く靖国を訪れた小泉の電撃参拝に度肝を抜かれた様子で、ヘリから九段の境内を歩く小泉を空撮する映像が何度も何度も流されたのである。

2001年8月13日の参拝(Photo by gettyimages)

「8月15日の総理大臣靖国公式参拝」は、繰り返すように、先の大戦を「自衛戦争」と位置づける保守派にとってその世界観の「一丁目一番地」であった。2日早い参拝だったとはいえ、保守派を狂喜乱舞させるのに十分であった。

1996年の橋本龍太郎による靖国参拝は、「公私」を明らかにしない「曖昧な参拝」であり、対中配慮がにじみ出ていて、保守派にとって得心のいくものでは無かった。 そのような意味で、総理大臣が靖国を公式参拝するのは、中曽根康弘による1985年参拝以来、実に16年ぶりの壮挙だったのである。

こうして小泉は2001年4月の就任後、わずか3ヶ月強で、保守層のこころを「鷲掴み」にすることに成功した。 この時期の保守系論壇誌は小泉の参拝賞賛一色となった。

そしてこれ以降、小泉が何をやっても、保守派は小泉に賛同するようになった。その下部に寄生するネット世論たるや、言わずもがなであった。そして小泉は、その政権最終年の2006年には8月15日に靖国を参拝して「有終の美」を飾ったのである。

 

小泉の靖国参拝は、先の大戦を自衛戦争と捉える保守派の世界観をトレースするものにとどまらず、靖国参拝を牽制する中国、韓国に対する強硬姿勢と常に一体であった。この意味で、「嫌韓」「反中」を標榜するネット右翼に、小泉政権は極めて親和性が高かった。

実際、当時の小泉の靖国参拝は、ネット世論の動向を睨んだものでは全くなかった。それは小泉の個人的信念に加えて、当時まだ集票組織として健在だった遺族会や軍恩関係団体からの支持を期待しての事であった。

そうした組織の中には、当時正式に発足してまだ4年しか経過していない「日本会議」も含まれていたが、「変人」と揶揄された小泉の目論見はあくまで、自身の信念に忠実である事と、広汎な世論の喚起を狙ったものである事は明白である。