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日本政府はなぜ「移民政策ではない」という呪文を唱え続けるのか

歴史的に反復する論理構造
望月 優大 プロフィール

歴史的な文脈

これまでの日本は、表向き外国人単純労働者の受け入れを認めてこなかった。しかし、同時に様々な産業では安価な労働力に対するニーズも存在してきた。

結果として、この国では移民政策をめぐる本音と建前の間にある矛盾を温存するための様々な方策が編み出されてきた。

例えば、バブル最盛期、製造業などを中心に人手が不足していた1990年の入管法改正。この改正によって「定住者」という在留資格が創設され、南米などに暮らす日系3世までの人々がその血筋を根拠として日本で働くことが可能になった。

しかし同時に、こうした「開く」方向の動きは、「閉じる」方向の動き、すなわち日系人以外の外国人を単純労働力として受け入れることの見送りとセットになっていた。

つまり、そこでは日系人(のみ)の受け入れ拡大という折衷案によって、産業側の本音と政治側の建前が調整されていた。蝶番となったのは「血統主義」である。

「日本人のような外国人」のみを受け入れるという発想によって、「外国人の単純労働者は受け入れない」という保守的な性格を持つ政府の一般的な方針と、「新規の外国人労働者なしには現場が成り立たない」という産業界のニーズとの間にある構造的な矛盾が隠蔽され、温存されたのである。

ここ数年の人手不足のもとで起きている留学生や技能実習生の激増も日系人への依存と同じような構造のもとにある。

ただし、今回は「日本人のような外国人」ではなく、「学生のような労働者」や「実習生のような労働者」という別のトリックが活用されている。ここでは蝶番が「血統」から、「教育」や「国際貢献」へと入れ替わっているのである。

 

では、今回の方針原案で提案された新しい在留資格案の新しさはどこにあるか。

それは、上記のように整理してきた歴史的文脈から一歩外側へと踏み出しているように見える、その点にこそ見出すことができるのではないか。

つまり、新在留資格案では、「人手が足りない単純労働の現場に国籍を問わず安価な外国人労働力をどんどん入れていこう」という発想があからさまな形で表明されている。

血統も、教育も、国際貢献も、関係ない。単に働く意思と一定水準以上の技能および日本語能力がありさえすれば良い。

そこでは、これまで様々なカテゴリーを用いて覆い隠そうとしてきた本音と建前の間の矛盾に対する態度が大きく転換しているようにも見える。あまりの人手不足を前に、政治側の建前がついに産業側の本音に打ち負かされたかのようだ。

しかしである。本当にそうなのだろうか。

果たしてこの地点においてこそ、私たちはあの呪文のような言葉、政府によって強迫的に反復される「これは移民政策ではない」という言葉の意味をより深く理解することができるのではないだろうか。

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