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構造主義とマルクス主義の関係性——『はじめての構造主義』のころ

現代新書 特別エッセイ「自著を語る」

構造主義とマルクス主義の違い

1960年の全学連、1970年の全共闘。大勢の学生たちが街頭に繰り出し、大学のバリケードに立て籠もった。まだマルクス主義には命脈があった。

そのマルクス主義が蜃気楼のように雲散霧消した今となっては、当時の切迫した緊張感を追体験するのはむずかしい。

構造主義はフランスでは1960年ごろ、日本では1970年ごろから、徐々に広まった思潮である。構造主義とマルクス主義を対比すると、両者の違いがよくわかる。

マルクス主義の根底には、ドグマがある。

ドグマとは、正しいと証明できないが真であることが前提になっている命題、すなわち教条のこと。

人間は労働する存在である。市場経済のもとで労働するならば、疎外が不可避であり、資本家は労働者を搾取する。搾取をなくすためには、私有財産制を廃絶する、共産主義革命が必要である。その革命を、共産党が指導する。

だいたいこんなことを、マルクス主義の本はみなのべている。

大学に入って手当たり次第に、マルクス主義系統の本ばかり読んだ。田中吉六、黒田寛一、岩田弘、廣松渉、羽仁五郎、梅本克己、吉本隆明、埴谷雄高、三浦つとむ、小野田襄二、滝村隆一、大久保そりや、マルクス、エンゲルス、レーニン、フォイエルバッハ、フーリエ、バクーニン、毛沢東、……。

そのうちにようやく、マルクス主義の正しさは証明できることではなく、行動のなかで確かめるしかないものであることがわかってくる。要するに「信じろ」ということだ。

 

『資本論』の正しさは条件付き

マルクス主義の根底にドグマがあることがわかるまでには、かなり時間がかかる。

マルクス主義は、「宗教は阿片である」という。自分は宗教ではない、ということだ。マルクス主義は、「科学的」社会主義を名のり、「空想的」社会主義を批判する。

マルクス主義がなぜ「科学的」かというと、『資本論』が正しいからだという。なるほど『資本論』は、合理的で無矛盾で、よくできた資本主義経済のモデルである。ではその結論は無条件に正しいのか。

それは、前提による。科学は検証可能な仮説であって、一連の前提にもとづいて、結論を導きだす。これら前提が成り立つ場合に限って、結論は正しい。すなわち『資本論』の正しさは、条件つきである。

問題は、『資本論』がどのような前提にもとづいているのか、『資本論』は明示していないこと。マルクス主義者たちも、自覚できていないことであった。