マルクスの『資本論』を少年マガジン的手法を駆使して漫画にしてみた

まんが学術文庫の編集長が語る漫画論
石井 徹 プロフィール

聖書を原書で読む男

「まあ、そんなのをいろいろ読んでいくとですね、今度は『神』っていう存在が気になって聖書なんて読むでしょう。石井さん、聖書読んだことあります?」

「一応二回読みました」

「日本語で?」

「えっ、日本語ですよね。普通は」

「あれって、本当に原本通り書いてあるのか疑問に思いませんか?」

「はあ? 言っている意味がちょっと……」

そうしていると岩下さんがテーブルに見たこともない図形を書き始めます。

「こんなの見たことあります?」

「なんですか、これ」

「これ、ヘブライ語なんですよ。もしかしたらヘブライ語で書いた聖書は日本語の聖書と意味が微妙に違うんじゃないかと思いましてね。勉強したことがあるんですよ」

 

(こいつ変だ。だけどこの探究心は何なんだ)。心の中で驚きました。

「まあ、そんなことにいろいろ興味を持っちゃうと哲学とか読み始めるじゃないですか。カントとかヘーゲルとか。石井さんも学生時代はそうだったでしょ」

「えっ、まあ。(平凡パンチとかプレイボーイのほうが興味はありましたが)」

ここで、私が漫画にしようと考えた原本のリストを岩下さんに見せます。

「うーん。『資本論』やらせてください。『資本論』関係は若い頃からずっと読んでますんで大丈夫だとも思いますよ」

「よろしくお願いします。やりましょう」

そこで岩下さんは、また紙に謎の文字を書き始めます。

「ああ、そうそう。ウパニシャッド哲学も面白くて、一時期サンスクリット語を勉強していたんですよ」

(こ、こいつホンモノだ……)

哲学好きの漫画家一人発見! 私の直感は大当たりでした。こんな漫画家は見たことがない。

こうしてマルクスの『資本論』を漫画にすることが決定したのです。

『資本論』の一コマ(イラスト:岩下博美)

『資本論』をお題に三題噺を

ある本、この場合は『資本論』ですが、その中身を構成するすべての概念をすべてスト-リーに入れ込むのは不可能です。

もしすべての概念を入れようと思ったら結局絵が付いた説明書、または学習漫画になってしまう。それを読者は望んではいない。それはデータでもわかっております。

結局、本の中からいくつかの主要な概念を選び出して、それをストーリー漫画に仕立てるしかない。

『資本論』でいうと主要な概念は、「剰余価値」「搾取」「労働疎外」などとなります。

三題噺という落語家がやる芸があります。

アドリブで、客からもらったバラバラな言葉三つから一瞬にしてストーリーにしてオチにする。あれです。出版社などの入社試験などには昔からありました。あの手法しかないと持った次第です。

では大枠どんな話にするかが問題になるのです。

ある日のことです。岩下さんとファミレスでジッと考えていたら、「男女関係、三角関係なんかどうですかね? 男女が三人でちょっとドロドロしちゃってですね」と岩下さんが突然言い出しました。

「はあ? 資本論で三角関係ですか。そんなの見たいかなあ」と私。

「だから男の一人は貴族で資本家になっていて、もう一人は労働者で、ヒロインは奇麗な女の子で……」

「いやあ、ラストが見たくありませんね。それじゃあ、いっそのこと大資本家も出しましょう。悪い貴族で金の亡者みたいなやつ。そいつを主人公たちがやっつける話が見たいなあ。要は留飲を下げたいですよ。スカッとしたいです」

「なるほど。舞台が産業革命の頃だとしたら、ナポレオンが所有権の絶対を認めちゃった後だから、土地持っていた貴族は横柄だったでしょうね」

「いや、それだけじゃダメでしょう。読者を怒らせなくちゃ。どスケベじゃなくちゃ。どスケベですよ」と私が強調したのです。

このあたりでファミレスの周りの席の人が怪訝な顔をして私たちをチラチラ見始めます。

さっきまで『資本論』がどうしたこうしたとか、「絶対的剰余価値」だの「労働疎外」だのと話していたのに、突然「男女の三角関係」や「勧善懲悪」さらに「どスケベ」はどうかなどと話し始めるわけですから。たぶんこの人たちは私たちがおかしいと思ったでしょう。

ちなみに、完成した『まんが学術文庫 資本論』には「男女の三角関係」も「勧善懲悪」もしっかり盛り込まれております。「どスケベ」は……まあまあです。