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週刊現代

『嫌われる勇気』著者が語る、今こそソクラテスの弁明を知るべき理由

合理性を超えた「価値」を磨く

哲人による演説の力強さ

ギリシア哲学の古典として、1位にはプラトン『ソークラテースの弁明』を挙げます。

プラトンの著作はほとんどが対話篇で、私の『嫌われる勇気』が哲人と若者の対話になっているのは、プラトンを意識しています。

ただこの『弁明』はその名の通り、不当な死刑を宣告されたソクラテスの弁明演説のほとんどが一人語りで書かれています。

弁明といっても、詫びたり命乞いしたりすることはなく、内容はかなり挑発的です。田中美知太郎先生のテンポの良い訳で読むと、哲人による演説の力強さが一層伝わってきます。

ソクラテスはこのように呼びかけます。アテナイ人諸君、恥ずかしくないのか。なぜお金や地位や名誉ばかりに気を使い、正義や真理に気を使わないのか―と。

古代ギリシアのみならず、現代こそ、ソクラテスの生き方が響くのです。

私は一研究者、哲学者に過ぎず、政治的な発言はこれまであまりしてきませんでしたが、今日の政治家や官僚、識者と呼ばれる人を見るに、彼らこそ『弁明』から学ぶべきと思います。

2位の尹東柱さんの『空と風と星と詩』と出会うきっかけとなったのは、『嫌われる勇気』が韓国で翻訳出版されたことです。「韓国の読者と直にコミュニケーションがとりたい」と勉強を始めたときに、韓国人の先生から贈られたのがこの詩集です。

尹東柱は、第二次大戦末期、留学中の日本で朝鮮独立運動に関与したとして逮捕され、福岡で獄死した詩人。ただし、詩の内容は政治的なものとは遠く、個人の幸福を謳う美しい言葉です。

死の直前に、彼はひと声叫んで息を引き取りました。しかし、日本人の看守はその言葉の意味は分からなかった。私は、「オモニ(母)」だったのではないかと考えています。

「星をかぞえる夜」という詩で尹東柱は「星ひとつに追憶と 星ひとつに愛と」と、星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えているのですが、最後だけ「星ひとつにオモニ、オモニ」と母を2回重ねている。それほど、彼の母への愛の気持ちは強かった。

戦争で亡くなった日本人、戦地で命を落とした人が最期に叫んだのは、天皇や国家への忠誠などではなく、家族への思いだったでしょう。尹東柱の美しい詩は、現代社会に不寛容が広がるなか、人の心の普遍性を思い出させてくれます。

『父の遺産』の柴田元幸訳

父の遺産』はフィリップ・ロスの老いた父親の介護の記録です。私自身も父を介護していた時に読んだため、強烈に印象に残っています。柴田元幸さんの翻訳が素晴らしく、英語で読む以上に味わい深いのでは、と思わされる。

後半に、ロスが死を前にした父へ囁いた言葉が原文とともに記されており、私は読んだ際に、日記に書き留めたのを覚えています。

死に直面したら、人はどう心が動くかわかりません。当人も、家族も……。この本で死の意味について深く考えました。

いのちの初夜』も、生死について考えさせる本。作者の北條民雄はハンセン病を患っており、本作は、隔離された病院での出来事を描いた自伝的な小説です。

当時ハンセン病に罹ることはすなわち、死を意味しました。ただ、北條は「体はどんどん崩れていく。だが命そのものは残る」と書く。「生命そのものの絶対的なありがたさ」という、北條さんの感覚に、この本を読んだ当時、20代だった私は衝撃を受けました。

10年前に心筋梗塞で倒れた時も、彼の言葉があったからこそ「体は治らないかもしれないが、精神はなくならない」と心を保ってリハビリができたのだと思います。

虫とけものと家族たち』は、ギリシアの自然豊かな島に移住した家族を描いています。

訳者の池澤夏樹はあとがきで「幸福の定義について哲学者は理屈を述べてきたが、実例を出した人はいない」と書いています。そして、本書の家族の暮らしは本当に幸せそのものです。

確かに、世の哲学者たちは、幸福を説きながらちっとも幸せそうではない(笑)。読んだ当時は子育ての真っ最中だったこともあり、家族と一緒に「幸福を実践する哲学者になろう」と心に決めた一冊です。

今回選んだのは、一言で「答え」を出してくれる本ではありません。生と死、正義、幸福とは何か。生産性ばかり追求する世の中で、合理性を超えた「価値」を思索できることが、読書の豊かさではないでしょうか。(取材・文/伊藤達也)

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