Photo by iStock
医療・健康・食 エンタメ ライフ

「看護師に向いてないよ!」入院中の父の暴言に疲れはてた71歳の母

現役証券マン・家族をさがす旅【19】

78歳で倒れ、入院した父。息子で40代の「ぼく」は、ぶっきらぼうで家族を顧みない性格の父にずっと反発を覚えていたが、父に前妻がいたこと、そして自分の腹違いの兄が存在することを聞かされて以来、家族の知られざる過去を調べるようになった。

2度の手術を乗り越えて徐々に回復し、転院の準備に入った父。しかし相変わらず看護師につらく当たり、親身に看病する母を呆れさせている。一方「ぼく」は、父が映画カメラマンの夢を追いかけていたことを知る人物にアプローチし、表現者としての父の横顔を探そうとしていた。

現役証券マンで作家の町田哲也氏が、実体験をもとに描くノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。

 

父に泣かされた研修生

ぼくが見舞いに行くと、父は元気そうだった。1日1リットル水が飲めるというだけで、表情がここまで変わるのだろうか。

話しているとのどが渇くのか、テレビの下の冷蔵庫からペットボトルを出して飲んでいる。胃ろうで出すことになるのだが、身体に吸収されない水にも、これほどの効用があるという事実が驚きだった。

翌日母が11時に病院に向かうと、父はすでにペットボトル1本半の水を飲み終えていた。訊くと、そんなに飲んだ覚えがないという。もう半分しか残ってないというと、飲めないとつらいと困った顔をした。胃ろうの廃棄液の色は透明に近く、胃の出血はなさそうだった。

母が、翌週には転院することを話した。父は一番安い病室で良いし、新しい病院までの移動も母の車で頑張れるという。姉がテレビを持ってきてくれると聞くと、喜んでいた。

この日は、研修生の最終日だった。前日まで3日連続でシャワーを浴びることができたのも、彼女が頑張ってくれたからだ。何とか穏やかに送り出すことができればと思っていたが、父の文句は止まらなかった。

シャワー後もやることが遅いと文句をいい続けて、「あんたは看護師に向いていない」とまでいってしまった。研修生は涙ぐみながらも、父の毛布を交換し、歯磨きをさせてくれた。最後の退勤時にも挨拶に来たが、高飛車な態度を変えない父に、母がついに切れてしまった。

「少しは人の気持ちも考えなさいよ。そんな態度だったら、もう明日から見舞いに来ないよ」

入院してから2ヵ月がたつ。何でも好き勝手に文句をいえる生活が、当たり前になってしまったのだろうか。

病人はつらいだろうが、毎日接してくれる職員の気持ちも考えてほしい。仕事とはいえ、わがままをいいたい放題の患者は嫌だろう。母の見放すような口調にも、父の態度は変わらなかった。

Photo by iStock

翌日見舞いに行った母が冷蔵庫を確認すると、置いてあった水がほとんど空になっていた。2日間で、500ミリリットルのペットボトルを6本飲んだことになる。一日3本だ。

そんなに飲んだ覚えがないという父の反応は変わらなかったが、飲みすぎるとどうなるかと不安がっていた。看護師からは、今のところ問題ないが、今後は1日1リットルを守って欲しいと強い口調でいわれた。ほかに楽しみがないだけに、どうしても飲み過ぎてしまうのだろう。

リハビリでは、いつも履いている運動靴が滑って歩きにくいという。母が家にある運動靴を洗って持ってこないからだと文句をいい続けたので、母も今度ばかりは我慢できずに病室を出た。

母は帰りながら、転院の際の道順を調べるのを怠らなかった。時間がかかると病人の負担になるので、最短のコースを確認しておきたかったという。

しかしこの日は結局、道を間違えてR病院に2回行くことになってしまった。約30分かかった計算になる。唯一慰められたのは、姉からの誕生日を祝う電話だった。この日は、母の71歳の誕生日だった。

新メディア「現代新書」OPEN!