1942年6月5日(日本時間)、米軍機の攻撃を受け、炎上する空母「飛龍」
戦争

76年前の今日、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘

搭乗員たちが語り残した真実とは?
日大アメフト部の反則問題、国会の森友、加計問題……、昨今の日本では、責任ある者たちの言い逃れとしか思えない言動がまかり通っている。いつの間に、日本社会はこんな風になってしまったのかと思うのだが、太平洋戦争の最前線で戦闘を経験した多くの搭乗員を取材した神立氏によれば、この責任逃れ体質は、日本人をどん底に追い込んだあの戦争においてもおおいに発揮されていたという。

現場の声と参謀たちの発言のズレ

太平洋戦争が始まって約7ヵ月後の昭和17(1942)年6月5日、それまで無敵を誇っていた日本海軍は、ミッドウェー海戦で、南雲忠一中将率いる「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の主力空母四隻を撃沈され、開戦以来はじめての大敗を喫した。圧倒的に優勢な戦力を擁しながら、劣勢のアメリカ艦隊に敗れたこの戦いが、「あの戦争」の一つのターニングポイントになったことに、議論の余地は少ないと思う。

ところが、この海戦に参加し、じっさいに戦った将兵にインタビューを重ねると、重要な場面で、「現場の声」と、「巷間伝わる『定説』」との間には小さくないズレがあることが感じられた。それを端的に表せば、「定説」は「司令部の責任逃れ」の産物が元になっていて、当事者の見たもの、体験したこととの間には乖離がある、ということだ。

 

これまでに発表された多くの戦記や小説、映画では、ミッドウェー海戦が「定説」を前提に描かれていて、そこに当事者の生の声が反映されることは少ない。しかも、海戦から76年もの歳月が経ち、この戦いに参加した将兵も、ほとんどが鬼籍に入ってしまった。誰かが声を上げなければ、「責任逃れ」が永久に正しい「歴史」として残ってしまうだろう。

「定説」の底本になっているのは、淵田美津雄、奥宮正武共著の『ミッドウェー』(日本出版協同・1951年刊)である。淵田氏は元海軍大佐。真珠湾攻撃のさい、空母「赤城」飛行隊長として攻撃隊総指揮官をつとめたことで知られる。ミッドウェー海戦のときは虫垂炎の手術直後で攻撃には出られず、「赤城」艦内で敵機の攻撃を受け、負傷。のち、聯合艦隊参謀などの職を歴任する。

奥宮氏は元海軍中佐。生粋の飛行機乗りだが、太平洋戦争開戦時にはすでに参謀をつとめていて、「戦う側」ではなく「命じる側」の立場で終始している。ミッドウェー海戦のときは、この作戦の別働隊であるアリューシャン攻撃部隊の航空参謀だった。

彼我の兵力差からみても負けるはずのなかったミッドウェー海戦の敗因については、これまで、さまざまな角度から多くのことが指摘されている。

機動部隊の乗組員は、真珠湾攻撃以来、西はインド洋、南はオーストラリア北部まで広範囲な作戦にほぼ出ずっぱりで、連戦の疲れを癒す暇もない。しかも、ミッドウェー海戦の直前には飛行機隊搭乗員の補充、交替が完了したばかりで、その訓練内容は基礎訓練の域を出ず、開戦直前の練度には程遠かった。外見は同じでも、機動部隊の総合力そのものが大きく目減りしていたのである。

それでいて、連戦連勝だったこれまでの戦果への過信が驕りを生み、緊張感を失わせ、機密保持にも作戦にも緩みを生じさせていた。

日本側は、米空母の動向を探るため、米海軍の拠点であるハワイ・真珠湾を飛行艇で偵察する作戦を計画したが、これは、中継地点になるはずであったフレンチフリゲイト礁に敵水上艦艇や飛行艇がいたため、燃料補給ができずに中止された。

また、ハワイとミッドウェーの中間海域に十一隻の潜水艦を配置したが、ハワイを出撃した米機動部隊は、すでにそこを通過してミッドウェー北東海域に進出した後だったため、なんの情報も得られなかった。

ところが、米海軍は日本海軍の暗号書をほとんど解読し、全力をもって反撃態勢を整えていた。「エンタープライズ」「ホーネット」「ヨークタウン」、三隻の空母を中心とする米機動部隊が、日本艦隊を虎視眈々と待ち構えていたのだ。

それでも、戦力において勝る日本艦隊は、戦いようによっては勝てたかも知れない。しかし、過信、慢心で緩んだ作戦には、あちこちに綻びの種が潜んでいた。

一つは、6月4日、機動部隊のはるか後方を航行中の、山本五十六聯合艦隊司令長官座乗の旗艦、戦艦「大和」で、敵空母らしい呼出符号の電波を傍受しながら、先任参謀・黒島亀人大佐が、「機動部隊の『赤城』でもこれを傍受しているだろう」と握りつぶし、機動部隊に伝えなかったこと。じっさいは、機動部隊ではこの敵電波をとっていなかった。

もう一つは、作戦の目的が「ミッドウェー島の攻撃・攻略」か「米艦隊の誘出・撃滅」かということが、出撃した部隊に徹底されていなかったこと。6月5日、ミッドウェー島攻撃に出撃した攻撃隊指揮官・友永丈市大尉は、戦果が不十分と見て「第二次攻撃の要あり」と打電、機動部隊もそれに応じて、米艦隊攻撃のために準備していた第二次攻撃隊の魚雷を爆弾に、通常爆弾は陸用爆弾に、転換する騒ぎとなった。これは、作戦目的が明確にされていれば避けられたはずの事態だった。

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