1962年、東京五輪前の「第二次新書ブーム」をご存知ですか?

講談社現代新書の歩み 〈1〉
1964年に創刊した講談社現代新書。新サイトのオープンを記念して、「現代新書」の歴史を振り返る連載がスタート。読者の方の知的好奇心に応える、そして明日の行動のきっかけとなることを目指して走り続けてきた、現代新書の54年間の歩みをご覧ください。

第1回は1964年の創刊から1973年の10年間。日本人の「夢」の象徴だった東京オリンピックの年に、「現代新書」はスタートを切りました。新書ブームの最中、インテリ層だけではなく、より広い読者を想定した「講談社らしい新書」とは何かを模索していきます。

「夢」の象徴・東京オリンピックと「成長神話」

講談社現代新書が刊行を開始した1964年は、日本にとっては何よりもオリンピックの年だった。

日本人にとってオリンピックは単なるスポーツの祭典ではなかった。経済や社会活動すべてがオリンピック中心に編成され、道路整備・地下鉄整備・新幹線開通など、オリンピックをテコに高度成長へと突き進んで行くことになる。

またこの年にIMF八条国への移行、OECD加盟など、日本経済の国際的な地位が高まった。史上最高の一六個の金メダルを獲得した(2004年アテネオリンピックで40年ぶりに同数に並ぶ)東京オリンピックとは、まさに日本が「世界の一等国」になった証であり、日本人の「夢」の象徴だったのだ。

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この10年で初任給は1万9100円から5万5600円までアップした。「大きいことはいいことだ」「モーレツ」など、エコノミック・アニマル=日本人は、ひたすら成長の夢を追い続けた。

しかしその半面、高度成長のひずみについても早くから指摘され始めていた。それはやがて公害・交通戦争などを社会問題化させ、ついには73年のオイルショックにより「成長神話」は決定的に頓挫させられることになる。

出版界はこの間、高度成長の波に乗り、点数・部数とも大きく伸びた。好調な売行きの中、新書ブームが到来する。

「第二次新書ブーム」到来、現代新書の創刊へ

わが国出版界の「新書」ジャンルの歴史を振り返ると、「第一次新書ブーム」は1954年、中央公論社から刊行されたペーパーバックスによって始まった。

同年には光文社の「カッパ・ブックス」が刊行されベストセラーを次々に生み出したことによってブームに火がつき、戦前からの老舗「岩波新書」とあいまって、新ジャンルとして定着した。

1962年、「中公新書」発刊を機に「第二次新書ブーム」が起きる。講談社現代新書は、こうした気運の中、64年3月23日に刊行を開始した。教育学者の村井実・慶應義塾大学教授から「講談社も『新書』をなさったらどうですか」とのアドバイスを受けたことが発端だった。

第1回配本は、都留重人『経済学はむずかしくない』、池田弥三郎『光源氏の一生』、南博『現代を生きる心理学』の3冊。

以後、毎月3点が刊行されたが、同年刊行のラインナップには、

村井実『人間の権利』
岡潔『風蘭』
渡辺一夫『私のヒューマニズム』
湯川秀樹他『物理の世界』
桑原武夫『「宮本武蔵」と日本人』
貝塚茂樹『論語』
矢野健太郎『数学の考え方』
松田道雄『日本式育児法』
務台理作『幸福の探求』
山本健吉『日本の恋の歌』
宮城音弥『ノイローゼ』
清水幾太郎『現代思想事典』

など、当時の日本の代表的な知識人が顔をそろえている。都留と岡の著作はペーパーバックスの年間ベストテン入りを果たした。

この路線は以後も順調に推移し、1965年には中山伊知郎『日本の近代化』、呉茂一『入門・世界の神話』、村松剛『教養としてのキリスト教』、今西錦司『人類の祖先を探る』などが、六六年には岩崎武雄『哲学のすすめ』、大河内一男『これからの労使関係』などが刊行された。

また松下電器(現パナソニック)創業者・松下幸之助による『若さに贈る』、世界的な建築家・丹下健三の『日本列島の将来像』、「スズキ・メソード」で有名な音楽教育者・鈴木鎮一の『愛に生きる』なども注目される。