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震災で認知症が進行した祖母と家族の「失われない確かなもの」

『わたしのお婆ちゃん』を知っていますか
現代ビジネス編集部 プロフィール

離婚した母にかわり、育ててくれたのは祖母だった。

私が生まれてすぐ両親は離婚していたので、うちではいわば母親が“お父さん”で、祖母が“お母さん”でした。保育園の送り迎えをしてくれたのも、三度の食事を用意してくれたのも、すべて祖母。初孫だったので、かなり甘やかされて育ったと思います。夏休みの宿題も、図工とか手芸の類いはだいたい祖母がやってくれまたし。私のランドセルを蹴って足形を付けたイジメっ子の家に、殴り込みに行ったこともありました。

高校時代は電車通学だったんですが、忘れ物をしたときには駅まで走って追いかけてきてくれた。そのときのこともよく覚えています。常磐線のホームに立っていたら、汗だくの祖母が鬼の形相で、駅の改札を突破してきた(笑)。慌てていたんでしょうね。サンダルも左右チグハグ。しかも届けてくれたのは、その日は学校で使わない教科書だったんです。

たぶん朝ごはんのとき私が読んでいたので、「うちの孫が授業で困るぞ大変だ!」って早とちりしたんじゃないかな。“孫バカ”なんです。ちなみに私もついついその思い出を、マンガのネタにしちゃっいましたけど。私も負けずに“婆バカ”です(笑)。

だけど厳しいところもあって……友だちが自分の家に集まったとき、私が真っ先に手を出すと「お客さんより先に手を出さないの!」とピシャリと叩かれたりしました。

祖母は若い頃からお金に苦労して、ずっと働きづめで子ども三人を育て上げました。だからか、金銭観みたいなものもシビアだった。よく「お金はあるフリはできないんだよ。あってもないフリするぐらいで丁度いいの」とか、「お金がなくなると、途端に人は相手にしてくれなくなるよ!」とか言われたのを覚えています。「家族はいいけれど他人には頼るな」と、自立を促す傾向は昔からありました。

でも基本的に、やっぱり孫には甘かったです(笑)。高校を出る前、私が「絵を描いて食べていきたい」って甘い夢を捨てきれず進路に悩んでいたとき、「自分に嘘ついても仕方がないんだから、好きなことしなさい」と背中を押してくれたのも祖母でした。「人に迷惑さえかけなければ、何したっていいんだよ」と。

私が上京して以降も、母は働きに出て、祖母は家事担当。休日は二人で庭いじりをしたり、生協に買い物に行ったりカインズホームで植木を選んだり……。車で20分くらいの生活圏で、普通に楽しい田舎生活を送っていました。でも震災後には、そのリズムが一気に崩れて。それが祖母の認知症を加速させた面もあると思っています

上京した20代前半には、実家にはせいぜい年に二~三回帰省する程度でした。当時はある出版社で、デザイナーやオペレーター的な仕事をしていましたが、めちゃめちゃ忙しかったけれど、とにかく東京暮らしが楽しかった。

でも震災後は、「被災地」と呼ばれるようになってしまった地元で月の半分を過ごすことも増えて……。家族ですごす時間は、格段に長くなりました。流された実家を再建する前は、仮設住宅で原稿を描いていたんですが、山側に建っていたせいか、窓や天井の結露がすごくて。湿気で紙がふにゃふにゃになって大変だったなぁ……。

 

できないことが増えていく

ちゃきちゃきしている祖母ですが、「お世話好き」というより、「人に頼られる自分が大好き」という感じでしょうか(笑)。9人兄弟の長女で、否が応でも下の面倒を見なきゃいけない環境で育ったせいもあると思います。

そうやっていつも「頼られる側」だった祖母だからこそ、認知症になって徐々にできないことが増えていくのは、さぞ辛かっただろうなと……。しかも認知症の人は、自分の不安や苦しみをうまく人に伝えられないんですよね。何をどう伝えればいいのかということが、そもそも分からなくなってしまう。たとえばゴミを埋めようと庭に出たまま、家に戻れなくなっちゃう自分がいて。何かがおかしい、

怖いという感情に襲われても、どうしていいかが分からない。

 今の私は、いろんな本を読んだり人から話を聞いたりして、当時の祖母がどんな気持ちだったのか、ある程度想像することもできます。でも当時は、目の前の状況に対応するので精一杯で……。何も知らなくて本当にごめんねって。その思いはずっと消えないですね。

「天然気味」のエピソードは、たくさんあります。たとえば料理の味付けが思いきり目分量なので、日によって味付けがまるで違ったりとか(笑)。“自称”節約家で、「いつか使うかもしれない」と、ぼろ切れから空き容器、はてはサランラップの芯まで溜めまくっていたりとか。

道に落ちていた人形を「目が合って可哀想だった」と拾ってきて、茶箪笥の中に並べたこともありました。だからうちの茶の間の“婆コレクション”は、統一感がまるでないんです。「ゲゲゲの鬼太郎」の砂かけババアの隣に、ミニーマウスとおじゃる丸がいたり。こうなるともう、どこからが認知症なのかなんて分からないですよね(笑)。

そんな天然な祖母だから、認知症だとはっきり認識したきっかけはありませんでした。何か「これだ!」という基準があればよいのですが、実際は日々の生活の中で「これはさすがにおかしい」が少しずつ広がっていって。そうとう追い込まれたところで、現実を直視せざるをえなくなったというのが正直なところです。

もちろん「あれ? これもしかして認知症なのでは?」という思いが頭をかすめたことはありました。でも、つい「いや、まさかうちの婆がね。いつもの天然か、老化のせいでしょ」と自分を誤魔化してしまって。「これはマズイ、何とかしなきゃ!」になるまで、かなり時間がかかりました。

でも、あえて記憶を遡って「きっかけ」を探すとすれば、震災の前。祖母と一緒にアルバムを見ていた際、母の子ども時代の白黒写真を指さして「あんただね。懐かしい」と笑顔で言ったことがあったんですね。その場は「婆ってば、何言ってるの。ボケちゃって!」と笑ってすましたんですが、本人はキョトンとしていて……。当時はまだ家事も普通にできてましたが、今から思えばあの頃から認知症の兆しがあったのかもしれません。

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