Photo by iStock

56歳の漁師がはじめて書いた「森と海の本」が人の心に響いたワケ

この海をよみがえらせたい気持ちで…

「森は海の恋人」のはじまり

漁師の私が本を出版するなどということは、それまでの歩みの範囲には全くなかった。

気仙沼水産高校を卒業すると同時に家業である牡蠣養殖業に従事し、ひたすら海と向き合う毎日であった。

そのことの必要に迫られたのは、平成元年(1989)、漁師による森づくり「森は海の恋人」運動を始めたからである。

ある種の社会運動であるので、趣旨を説明するのにパンフレットつくりは欠かせない。地方紙に広告を出すなどということもあった。金釘流で文を書き、印刷所に入れると、ゲラというものを渡され、校正してくださいと言われた。

校正という意味さえ知らなかった。

「森は海の恋人」運動は、森づくりと同時に環境教育の手助けとして、海に子供たちを招いての体験学習を行うようになった。

 

学校では折から「総合学習」の時代に入っていた。海から川の流域を俯瞰するということは、総合学習の絶好のテーマになった。教科書を執筆する先生方が次々来られ、「森は海の恋人」運動は小学5年生の社会の教科書に掲載された。

筑波大学附属小学校の研究授業のテーマになると、全国の学校がそれに従う。各地の学校にも招かれるようになった。

海で働く漁師さんが、なぜ山に木を植えるのですか。その動機は。科学的メカニズムは。カキってどんな生き物なのですか。なぜ漁師になったのですか。など、全国から問い合わせが殺到してきたのである。

「これを読んだらだいたいのことはわかりますから」というような小冊子でもつくろうかと考えていると、企業誌の取材で松原秀行さんという方が来られたのである。講談社青い鳥文庫で「パスワードシリーズ」を書いている児童書の作家だという。

18年間のロングセラー

悩みを打ち明けると、「それはこれからの日本の教育にとって大切なことです。ぜひ本を書いてください。お手伝いしますから」と言ってくれ、講談社児童局の編集者・阿部薫さんを紹介してくれたのである。

舞根湾を訪れた丸っぽい顔の編集者をさし家人は、アンパンマンみたいな人ね、と言った。

とはいっても、子供向けの文章など書いたことはない。「シートン動物記」が好きだったので、それを真似して少し書いてみたのである。そして「森は海の恋人」運動の同労者である歌人の熊谷龍子さんに見てもらうと、

「人真似はいけませんね。うまいとか、下手とかではなく、文章ってその人のものです。まずあなたが経験した子供時代の海の生き物とのふれあいを書いてみたらどうですか」

と言われたのである。

三陸の海辺の子供時代の思い出など、価値があるとは思ってもみなかったが、作文を書くようなつもりで綴ってみた。それをおそるおそる差し出してみると、満面に笑みを浮かべ、「これでいいんです。素晴らしいじゃないですか。素直に、あなたの言葉で書くことです」と誉めてくれたのである。

その時私は56歳。文字通り五十の手習いであった。

話は具体化してきて、イラストレーターのスギヤマカナヨさんがやってきた。スギヤマさんは、生まれてまもない赤ちゃん連れであった。我が家でも1ヵ月違いの初孫が誕生していた。

こうして『漁師さんの森づくり』が刊行されたのである。平成12年(2000)のことである。あれから18年、この本は版を重ね、16刷というロングセラーになっている。
初孫・幸子は、この春、大学生となった。

「森は海の恋人」植樹祭は、今年30周年を迎える。

植樹祭には親子連れが増えている。体験学習に来た子供たちが、パパ、ママになっているのだ。

30周年を記念して『漁師さんの森づくり』の続編を出版することになった。タイトルは『人の心に木を植える』。もちろんイラストは、名パートナーのスギヤマさんである。

親子で楽しんでもらえている光景を思い浮かべる日々である。

読書人の雑誌「本」2018年6月号より