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人はいつから「毛皮」を捨てたのか~ダーウィンも解けなかった謎

『はだかの起原』を読む

ダーウィンが懸念した問題

人間は自分のことをラテン語の学名で「ホモ・サピエンス、賢い人」と名づけたけれど、それはちょっと恥ずかしくはないだろうか?

それよりもイギリスの動物学者デズモンド・モリスのように「はだかのサル」と呼ぶほうが、その大型類人猿の特徴をよく示しているだろう。

しかし、人類学の領域では人間がはだかであるという特徴については「家畜化によるものか?」くらいの扱いで、まともに取りあげられたことがない。これは一種のタブーなのである。

さすがに碩学ダーウィンは、この問題の深刻さに気がついていた。

『種の起原』に続いて刊行した『人類の起原』のテーマは、人間のはだかの皮膚についてであると言ってもよいくらいである。だが、ダーウィンは人間のはだかについて説明できず、この問題では自然淘汰説さえ放棄したことについては、ほとんど知られていない。

私が人間のはだかの皮膚について考えるようになったのは、海岸よりも野外調査での体験が大きい。

 

野生のサルたちを追跡してデータを集めるという無謀な研究は、1970年から始まった。雨の日にサルを追いかけて、濡れる、蒸れる、冷える、眼鏡は曇る、ノートは破れるという何重もの苦痛を常に味わうことになった。

1982年、台風の中でサルたちを追跡した時、彼らの毛皮の威力を目の当たりにした。

こちらが肌までずぶ濡れで震えあがっている時に、小さな子ザルでさえ、ブルッと身震いするだけで、雨滴は小さな噴水のように吹き飛び、いつもとまったく変わらない快適な山中の暮らしを続けていた。

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1983年からは、マダガスカルで夜行性のアイアイを研究し始めたので、熱帯雨林での豪雨、霧雨、涙雨と種々無尽の雨の中で、追跡の難儀さにはほとほと音を上げた。それもこれも、完璧な雨具である毛皮を自分が着ていないからだと思うようになった。なぜ、人はこれほどに有用な装備を失ったのか?

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