選挙

小泉純一郎と野党の脱原発連合を演出した「角栄の愛弟子」

新潟県知事選・深層レポート

6月10日に投開票される新潟県知事選が、ついに選挙戦に突入した。与野党一騎打ちとなるこの選挙、告示直前の世論調査では2候補がほぼ横一線で並ぶ。最大の争点は「県内の原発の再稼働問題」というだけに、両陣営は原発ゼロ運動を展開する小泉純一郎元首相の動向をピリピリしながら見つめる状況だ。

そのさなか、新潟を訪れた小泉元首相と「ある政治家」との間で、知られざる人間ドラマが展開されていた。恩讐を越え、四半世紀ぶりに握手を交わした2人を結びつけるのは、他でもない地元の英雄・田中角栄。

小泉元首相初の回想録『決断のとき』(集英社新書)を手掛けたノンフィクションライターの常井健一氏が特別リポートする。

角栄像を見上げながら

講演前、浦佐駅前の角栄像を訪れた(撮影:筆者)

5月23日11時48分、小泉純一郎は上越新幹線の浦佐駅に降り立った。

乗降客が10人もいない殺風景なホームには、やわらかな春風が吹き込んできた。元首相はロマンスグレーのライオンヘアーをなびかせながら、お付きの者が案内する車寄せの方向ではなく、ロータリーの向こう側にある別の場所に歩を進めた。

「あれが、そうか!?」

指差す先に見えたのは、田中角栄の銅像だった。左手をポケットに突っ込み、雪をかぶった八海山に向かって右手を掲げている。「ヨッシャ、ヨッシャ」と威勢のいいダミ声が今にも聞こえてきそうな立像を見上げながら、小泉は感慨深げにつぶやいた。

「オレは福田さんの弟子。それが今、角さんの前に立っているんだから、面白いよ」

政治家になる前、角栄にとって「不倶戴天の敵」であった福田赳夫の自宅で玄関番をしていた時期がある。「角福戦争」として語り継がれている1972年7月の自民党総裁選が終わった翌朝、角栄に敗れたばかりの福田が飄々とした表情で「上善如水」と揮毫していた姿を、小泉は昨日のことのように覚えている。

当時、29歳だった小泉青年は、その年末にあった衆院選で初当選を果たした。「田中1強」にも陰りが見え始めた74年10月、ジャーナリストの立花隆と児玉隆也が月刊誌「文藝春秋」に寄せた論文で「今太閤」を取り巻く〝カネ〟と〝オンナ〟の問題を暴露した。すると、福田派一年生議員の小泉は、自民党の全衆院議員が集う代議士会で真っ先に倒閣の狼煙を上げた。

小泉は述懐する。

「代議士会の後、福田派の先輩だった渡海元三郎さんがオレのところにすっ飛んできて、『なんてこと言うんだ!福田が言わせていると思われるじゃないか!!』と怒られたんだっけ。あの時、田中角栄を叩いた男(=自分)が後になって総裁選に出たら、その娘(田中真紀子)に応援されて、どこで演説しても人がいっぱい、交差点で人が動けない。勝っちゃったんだ。

真紀子さんがオレの事務所に来て、『(総裁選に)立って、立って』と迫られて、出た。女性に『立て』と言われて、男が立たないわけにはいかなかったよ(笑)」

 

そして、こう続けた。

「人生は全部想定外。敵か味方かは、常に変わる。あれが、いい例だよ」

小泉が今回、角栄のお膝元を訪れたのは、持論の原発ゼロ実現を訴える講演に立つため。角栄像を見た後に駆けつけた新潟県魚沼市(旧小出町)内のホールは、約1200人の聴衆で埋め尽くされた。1時間15分に及んだ独演会の最中、元首相はこう吼えた。

「これまで原発反対と言っていたのは革新とか左翼だったが、今は違う。私は保守、自民党総裁やっていたんですよ。革新じゃないんだ。一緒に行動している中川秀直さんは、自民党幹事長やっていたんだ。自民党の現役議員にも仲間がいる。原発やめさせるのに、もう、保守も革新もないよ」

そんな調子で続いた小泉節を、最前列でノートにびっしりとメモを取る女性がいた。池田千賀子(57)。翌24日に告示される新潟県知事選(6月10日投開票)に立憲民主、国民民主、共産など野党5党の推薦を受けて立候補する新潟県議だ。彼女は、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な姿勢を知事選でアピールしようとしていた。

小泉の講演中、オレンジ色のスーツを着込んだ彼女に向かって何度もカメラのフラッシュがたかれた。テレビ局員は、手元のハンディカメラを小泉、池田の順にパンニングさせている。大手メディアにとっての「今日の主役」は、壇上の元首相ではないことが一目瞭然だった。

小泉は講演後に野党統一候補と面会した(撮影:筆者)
新メディア「現代新書」OPEN!