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"マルチバースの難題"を解決したホーキングの「遺言」

「最後の論文」に書かれていたこと

異例の速さで公表

スティーヴン・ホーキング博士の最後の論文が出版された(Journal of High Energy Physics(JHEP)に4月20日に受理され、27日に出版)。

【写真】ホーキング博士 2017
スティーヴン・ホーキング博士(Stephen William Hawking)。2017年撮影 photo by gettyimages

学術専門誌の編集部が論文を受け取ってから、きわめて短期間で世に出た格好だ。通常、物理学の論文は、専門家がじっくりと内容をチェックするならわしだが、今回ばかりは、故ホーキング博士に敬意を表してのスピード審査となった。

この論文は、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学のトーマス・ハートグ(Thomas Hertog)教授との共著だ。ハートグはケンブリッジ大学でホーキングの指導のもと、博士号を取得しており、新進気鋭の宇宙論学者である。

論文の題名は「永遠のインフレからのスムーズな脱出?」(A Smooth Exit from Eternal Inflation? )。

……うーむ、和訳が難しいですな。まるで経済が破綻しかかっている国家を救うようなイメージだ。しかし、インフレといっても経済の話ではなく、ビッグバンの頃に宇宙が急激に膨張したことを意味するのだし、永遠という言葉も解説が必要だろう。

【写真】トーマス・ハートグ教授
共著者のトーマス・ハートグ(wikimedia commons https://creativecommons.org/licenses/by/4.0より)

「有名宇宙論」への異議申し立て

まず、これまでの宇宙論の定説というか、人気学説として「永遠のインフレーション」というものがあったことを押さえておきたい。

宇宙は開闢直後に急激に膨張したが、やがて収束して星や惑星ができた。それだけなら話が理解しやすいが、実は、広大な宇宙全体としてインフレが止まったわけではなく、まだら模様というか、モザイクというか、フラクタルというか……、ようするに、急膨張が止まったのは、ごくごく一部であり、その他の領域は永遠にインフレが続いているという仮説だ。

お湯を沸かしていると、たくさんの気泡が出てきますよね。あの気泡の部分は、「沸騰が止まった」という意味で、インフレが収束した領域とみなすことができる。宇宙論学者たちは、それを「ポケット宇宙」とよんでいる。われわれの宇宙も、無数に誕生したポケット宇宙の1つにすぎない。

ポケット宇宙という言い方が気に入らなければ、「マルチバース」とよんでくださってもかまわない。宇宙はユニ(=単一)ではなく、マルチ(=たくさん)だったのだ。

だが、この人気学説には大きな弱点があった。

無数のポケット宇宙が、それぞれ異なる物理的な特性をもっていて、重力が強くてブラックホールだらけになったり、重力が弱くて星や惑星が形成されなかったりして、ようするに「なんでもあり」になってしまうのだ。なんでもありでは、物理学的には予測力がない。どんな宇宙でも可能だとしたら、われわれの宇宙も偶然こうなっただけで、「どうして今のような物理法則になったのか」を問うことができなくなってしまう。

もちろん、それが真理なのであれば仕方ないが、ホーキングとハートグは、この人気学説が気にくわなかった。永遠のインフレーション学説、言い換えるとマルチバース学説は、なんでもありなのだから、検証不可能ではないか。それでは科学の学説とはいえないのではないか?

それが、最後の論文の出発点だった。

【写真】沸騰したお湯のイメージ
沸騰したお湯の気泡のようなポケット宇宙〈マルチバース〉が「何でもあり」とすることへの懐疑からはじまった photo by iStock