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ムラとマチを捨ててきた日本の未来はやっぱり「地方分散」にあり

AIが2050年の未来を予測すると…

「地方分散型」社会のイメージ

前回(「2050年まで日本は持つのか?AIが示す『破綻と存続のシナリオ』」)、京都大学と日立で実施したAI活用による未来予測と政策提言についての概要を紹介した。

人口激減と東京一極集中が進む日本において、主に都市集中型と地方分散型という2つのシナリオがある。現在進行形で起きている都市集中とは異なり、地方分散はイメージしづらいかもしれない。いったいどのようなものだろうか。

京都大学こころの未来研究センター教授・広井良典氏が、海外の事例や戦後日本の政策展開を概括しながら、問題の所在と今後の方向性を明らかにする。

「地方分散型」社会あるいは「持続可能な地域」というもののイメージをもつため、まず写真①をご覧いただきたい。

これはドイツのニュルンベルク郊外にあるエアランゲンという地方都市(人口約10万人)の中心部の様子である。

印象的なこととして、ドイツのほとんどの都市がそうであるように、中心部から自動車を完全に排除して歩行者だけの空間にし、人々が「歩いて楽しむ」ことができ、しかもゆるやかなコミュニティ的つながりが感じられるような街になっているという点がある。

そして何より、人口10万人という中規模以下の都市でありながら、中心部が活気あるにぎわいを見せているというのが印象深く、これはここエアランゲンに限らずドイツの中小都市すべてに言えることである。

 

残念ながら、日本での同様の規模の地方都市はいわゆるシャッター通りになり空洞化しているのがほとんどという状況だ。

一般に、ヨーロッパの都市においては1980年代前後から、都市の中心部において大胆に自動車交通を抑制し、歩行者が“歩いて楽しめる”空間をつくっていくという方向が顕著になり、現在では広く浸透している。

私はほぼ毎年ドイツを中心にヨーロッパの都市や農村を訪れているが、私が見る限りそうした姿がもっとも顕著なのはドイツの都市であり、加えてデンマークなど北欧、オランダ、フランスなど、概してドイツ以北のヨーロッパにおいて明瞭で、意識的な政策が進められている帰結と考えられる。

写真②のザールブリュッケンは人口18万人ほどの地方都市だが、駅前から中心市街地への道路が写真に見られるように完全に歩行者だけの空間となっている。

ちなみに、こうした点は概してアメリカの都市とヨーロッパの都市で大きく異なっている。

前回ふれたように、私はアメリカに80年代の終わり2年間と2001年の計3年ほど暮らしたが(ボストン)、アメリカの都市の場合、街が完全に自動車中心にできており、歩いて楽しめる空間や商店街的なものが非常に少ない。

しかも貧富の差の大きさを背景に治安が悪いこともあって、中心部には(窓ガラスが割れたまま放置されているなど)荒廃したエリアやごみが散乱しているようなエリアが多く見られ、またヨーロッパに比べてカフェ的空間などのいわゆる「サード・プレイス(職場と自宅以外の居場所)」も少なく、街の“くつろいだ楽しさ”や“ゆったりした落ち着き”が欠如していると感じられることが多い。

日本の場合、この後でふれるように、第二次大戦後は道路整備や流通業を含め“官民挙げて”アメリカをモデルに都市や地域をつくってきた面が大きいこともあり、その結果、残念ながらアメリカ同様に街が完全に自動車中心となり、また中心部が空洞化している場合が多いのが現状だ。