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麻生大臣が致命的な「問題発言」を繰り返す理由が分かった

圧倒的に欠如している2つの力
原田 隆之 プロフィール

さらに、「セクハラ罪はない」という発言であるが、その後しぶしぶ謝罪したものの、当初は批判を受けても、本人は「事実を述べただけ」と強弁を続けていた。ここにも共感性の欠如は如実に現れている。

たしかに事実を述べただけかもしれないが、それに対して受け取った人がどう感じるかという視点がまったく抜け落ちているのである。

当たり前のことだが、事実であれば何を言ってもいいわけではない。そこには、共感性欠如に加えて、未熟な幼児性とも言える問題が指摘できる。

 

子どもは、平気で相手の身体的欠陥をあげつらって笑いものにしたり、「言っていいこと」と「悪いこと」の区別がつかず、人前で口にすべきでない言葉を大声で述べて、親をハラハラさせたりする。

例えば、小学生が「ウンコ」などと言って大笑いしている姿は、いつの時代にも見られる幼稚な言動である。

しかし、成長につれて、親のしつけが内面化され社会化が進み、周りの反応などを敏感に察知する能力も身につけて、こうした発言がなくなっていく。これが、大人が身につける分別であり、良識というものだ。

大人が人前で「ウンコ」と言ってみろと言われたら、不安や羞恥心を抱くだろう。現に、この原稿を書いている私もそのような気持ちを感じながら書いている。

「事実を述べただけ」と開き直って強弁する姿には、「嘘じゃないもん。だって本当なんだもん」などと言って、親の言うことをきかない未熟な子どもの姿を重ねてしまう。

ハラハラして不快になっているのは周囲のみで、本人はそれを感じていないのだ。

共感性とは何か

では、共感性について詳しくみていきたい。

先に簡単に定義したように、一言で言えば他者の心情を思いやる力のことを共感性という。しかし、共感性には2種類あり、この区別は重要だ。

〔PHOTO〕iStock

1つは、「認知的共感性」である。これは、相手の気持ちを頭で理解することのできる能力を言う。よく国語の問題などで、「この主人公はどのように感じていたでしょうか」などと問われることがあるが、これは認知的共感性を育むための教育である。

つまりこれは、言葉、表情、しぐさなどから、相手の気持ちを推論する能力である。心理学では「こころの理論」とも呼ばれており、自閉症児などではこの能力に問題があるケースがあるが、教育や治療によって育てることが可能である。いわゆる「忖度」もこのタイプの共感性である。

もう1つは、「情緒的共感性」である。これは、相手の心情を頭で理解するだけではなく、それを追体験し、同じように感じ取る能力のことである。ドラマを観て、登場人物に自分を重ねて感動したり、事件事故の被害者に思いを馳せて涙を流したりするのも、情緒的共感性ゆえのことである。

情緒的共感性の働きは、社会生活や対人関係においてきわめて重要である。この能力があるからこそ、いたずらに他人を傷つけることなく、円滑な関係を発展、維持することができる。また、誰かが困っているときには心の支えになったり、話を聞いて共に悩んだり、喜んだりすることもできる。

麻生大臣のこれまでの発言や、批判に対する対応などを見るとき、これらの双方が欠如していると言わざるを得ない。